病院の先生「治したのになんでお礼にこないの?また来てよ」

風邪を引いてお医者さんに行きます。元気になったあとに「ありがとうございました」と毎回わざわざ挨拶に行ったりしません。お医者さんから「治したのになんでお礼にこないの?またきてよ」と言われたこともありません。「リピーターが増えるようにほどほどに治らない程度の処置をします」と考えるお医者さんはたぶんほぼいません。

お医者さんと比較するのもおこがましいかもしれないのですが、占いも同じで正直「困ったときだけ」のお付き合いでいいと思います。「便りが無いのは良い便り」とは言ったもので、その人から何度も連絡が来るのは本来けっこう不自然なことだし、何度も通わせるというのはもっとおかしな話だと思います。

占わせていただいた方がその後どうなっているのか、答え合わせができればそれはそれでありがたいけど、できないほうが普通だし、本当にうまくいっているなら占われたことも忘れてしまう。元気なときに病院のことを考えないのと同じで、占いをした側としては、事後報告を忘れてしまうぐらい楽しい人生を送ってくれることがベストだと思います。

占いという自分が生み出したものを受け取った人が、それに対して特定の反応や行動を起こして欲しいというのは生み出した側のエゴに過ぎません。それをねちねちと追いかけるのは執着としかいいようがない。だから、自分が一度アウトプットしたもの、それに対する受け取り手の反応は一瞬で忘れ去ってしまうほうが健全だと思います。

映画監督が自分が制作した映画を見たお客さんに「こういう風に感じてもらいたい」「そういう感情を抱くのはおかしい」とネチネチと言って来ることはなくて、映画監督と映画はもう別の存在に切り離されているわけです。「生み出したもの=自分」という風に強く結びついてしまうと、それはエゴだし執着です。だから究極的に言うと、生み出したことに対して無責任なほうがいいってことです。

よくホームページを作らせてもらったお客様からその後「ブログを書けない」「何を投稿したらいいかわからない」といったご相談を頂きますが、それは「アウトプットするもの=自分」だと思っているからです。確かに、アウトプットしたものに「自分らしさ」というものは反映されると思います。でも、イコール自分自身ではありません。自分可愛さみたいなものが強くなると、自分がアウトプットしたものにまで自分を重ねてしまう事態に陥ります。これは僕自身も占いをする上で気をつけなければならないことだなと思います。占った結果に執着しない。役に立つ人にとっては役に立つし、ゴミだと思う人にとってはゴミ。それだけなんです。

SNSやネットは良くも悪くも距離を縮めてくれます。本来届かないはずのものが届いてしまうこともあります。占い・占った結果とある程度距離を取ることは大事だなと最近改めて感じます。

コンビニでおにぎりを買おうと手に取ると、おにぎりから生産者や配達者の方たちの声が鳴り響いたらどうでしょう。おにぎりから「感謝しろー」「どうやって食べるんだー?」「運ぶの大変だったんだぞー」「お前には食べてほしくない」「感想聞かせてくださいね☆」といった声が聞こえて来たら嫌ですよね。もうホラーですよね。

反対に食べたおにぎりの感想を生産者や配達者の方たちにわざわざ伝えに行かないですよね。でも、生産者と消費者の距離が近いとそういうことが起きる可能性が高くなって、それはそれでいいことだけど、適度な距離感が大事だと思うんですよね。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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