なんとなくオーストラリアの出発前に今までやっていたFacebook・Twitter(X)・Instagramのアカウントを全部消したんですよね(消しきれていない忘れてる裏アカウントみたいなものはあるかもしれないけど)。
消してから10分ぐらいは、その世界から自分が消えてしまったような喪失感があったけど、SNSが「世界の全て」になってしまっていた部分があったんだなと気づけてからは、吹っ切れました。
「居場所がある」と思えるのは、安心感につながるんだけど、消してみて感じるのはやっぱりその居場所も虚だったのかもしれないなと。麻薬とかお酒みたいに、手軽に刺激が得られる空間って、依存性があるんだよなあ。依存してそこが「世界の全て」とか「それが自分の全て」という感じになっちゃうと結構危ないよね。
この大SNS社会(トートロジーだけど)の流れに逆行するようなんだけど、アカウントをもっていなくても普通に生きている人たちもたくさんいるわけでね。
SNSでしかつながっていない人もいたし、SNSのみで連絡をとっていた人もいたけど、なんか本当に用事があったら何かしらの手段でまたつながるだろうし、それでいいかなと思いました。
SNSにアップするために写真を撮ったり、撮らなきゃいけないと考えてる時間が、なんかもったいないというか。手軽な分、純度が下がっちゃうというかね。
つながるのも、連絡をとるのも、居場所を作るのも、手軽で簡単だからいいんだけど、なんか一度こういう手軽なものを離れたくなってね。ご不便をかけてしまうかもしれないけれど、このご不便がいいんじゃないかなって。
またおもしろいプラットフォームが出てきたら、試してみるんだろうけれど、自分が居る場所が自分の居場所だからなぁ。見えなくなったら、また新しく見えてくる景色があると思う。それがSNSを全部やめた最大の理由なのかも。
にしけい