「他者に定義して自己肯定して欲しい」というフェーズがありまして。右上から上中央にもどるような方向性になります。これは人参を目の前に吊るされた馬がわかりやすくて、誰かから人参が与えられたら、それを目標に走り出せるわけです。例えば「美容師になりたい」という人がいたとします。美容師になるには専門学校に通って、勉強して、美容師免許を取得して、何らかの形で誰かの髪をあれこれやって対価を頂くことができれば「美容師になれた」と言えます。ただ行動するだけなのですが、「他者に定義して自己肯定して欲しい」というフェーズに入り浸ると、「あなたなら美容師になれますよ!」とか「あなたは美容師の才能があります!」とか「あなたが美容師になったらうちで◯◯万円で雇います」といった「人参」が必要になります。この人参探しは他者による「再定義」なんですね。「あなたならできるよ」とラベルを貼って欲しいわけです。なぜラベルを貼って欲しいかというとおそらく自分で決めて行動した経験が乏しいからだと思います。何らかの理由で自分に「自分の考えや判断では間違いが起きやすい」という呪いをかけて、行動を制限してきた。だから他者から「あなたはできる」と再定義されないと動けないわけです。自分で自分にかけた呪いを解くために、誰かに呪いの上書きをしてもらおうという感じです。なので「再定義」なんですね。
素直に「美容師になれます!と言ってください。それなら頑張れます」と言えれば良いのですが、再定義系を求める人は「美容師になれますか?」とか「美容師になれる素質はありますか?」という疑問文で聞いてくるわけです。どこまでも予防線を張って自分を守ろうとしているわけです。何度も書きますが、美容師になりたいという目的を達成したいならそれ相応の行動をとっているうちに達成できてしまうわけですが、失敗して自分が傷つきたくない「自分は失敗しない人間だと思いたくない」という自己保身から行動を躊躇し、行動を躊躇するための理由を探すようになります。
そして「美容師になれますか?」と質問に対して「なれませんね」とか「具体的にこうやればできますよ」という回答は求めていないんですね。もうすでに自分の中で「やりたい」と決めているわけで、それを後押しして欲しいわけですから「できますよ!」という意見しか受け付けられないんですね。なぜそれを一生懸命求めるかというと、失敗した時に誰かのせいにできるからなんですね。○○さんができると言ったからやったのに失敗した。この失敗は自分が引き起こしたものではないと思いたいわけです。だから「誰かがうまくいっているのは何か特別な理由があって、自分にはその特別なものが今はないからうまくいかないんだ」という風に考えるようになり、「きっかけ」や「人参」を探すようになるわけです。
実際に美容師になった人は、自分が特別なことをやっているという認識がないのですが、どうもそれに憧れて行動できない人にとってその行動は「特別」に見えるようなのです。なぜこのような現象が起こるかというと「部分」しか見ていないからなんですね。この場合は「自分にとって都合のいいところだけ」しか見ていないわけです。美容師になって活躍する人、キラキラ働いている人、まず、こういった「都合のいい部分」だけ切り取って見ています。でも「実際」は全然違います。それまでの「過程」や「努力」や「泥臭いもの」がいっぱいあったりします。
自分の失敗を過剰に恐れる…ということも「自分の都合良い部分のみを切り取って」生きているから起きてきます。人間ですから、ご飯を食べてうんちもします。寝ているときなんてとんでもない顔をして寝ているかもしれません。腸内にはよくわからない菌がいっぱいいますし、サルみたいに愚かなことを考えてしまうこともあるし、誰かに対して憎しみを剥き出しにすることもあるでしょう。しかし、失敗を恐れる人はおそらく「自分は綺麗で完璧なものだ」という「部分」しか見ていない、見ないようにしているのだと思います。「失敗するはずはない」「会社で上司から注意されているのは仮の姿で本当の自分じゃない」「人間関係がうまくいかないのは自分のせいじゃなくて環境が悪いからだ」といった具合に「失敗しない美しい自分」のみを切り取ってみようとしているわけです。
そういった人は謎の断捨離を始めたり、人間関係を過剰に切除しようとします。あとは先述したような「自分は特別で素質がある」と再定義してくれる人を求めるようになります。「分化」して自分を特別なものだと思いたいわけですね。うんちもするしゲップもするのにね。自分は特別で美しいものだと思いたいわけです。
周易に「火地晋」という卦があるんですけど、この卦は「実占やってるかどうかをはかる踏み絵卦」になるんですね。実際、火地晋はここまで書いたように「人参を目の前にぶら下げられて進む状態」で「人参くれ〜!」と言っている人を描いた卦なので、本当は消極的で思ったより結果が出にくい卦なんです。なので「火地晋」を「素晴らしい」「前進する」「大吉です!」「ラッキーです!」といった具合に褒め称えている著者や占い師がいたら「あー…実占やってないな…」と思ってください。そういう卦、けっこういっぱいあります。へへへ。
というわけで「再定義系」の注文はただ「そうです」と肯定するだけで需要を満たすことができてしまうわけですが、そもそも消極的な姿勢からのオーダーなので、そのあと能動的に動いて結果が出る可能性がけっこう低いんですね。逆に「そう思いません」って煽って反発してもらったほうが現状は進む気がします。
再定義系の注文は自動化した方がいいよなあ。プログラミングだとエラーが増える案件だよね。
— にしけい (西田 圭一郎) (@nishikei_) October 27, 2021
プログラミングだと最初に言葉を定義するんですけど、それを何度も定義するとエラーが起きやすいんですね。「美容師になれる」と自分で定義しているのであれば、そのまま黙って行動すれば良いのですが、改めて他者に定義を求める場合、先述したように「疑問系」で求めらたりすると「美容師になれません」と定義されることもあるわけで。「私=美容師になれる」と定義したつもりなのに、あとで「私=美容師になれない」と定義されるわけですから、高確率でエラー(トラブル)が起きます。
個人的には再定義系の注文は何の面白みもないと思うので、全くやりたいと思いませんから自動化できる仕組みを構築した方が効率がいいと思うんですよね。「美容師になれますか?」という質問に対してボタンを押せば「なれます」と返してくれるような、そういう仕組みでいいと思うんです。だって求めている答えは「なれます」だけなんですから、そこにエネルギーも時間も割いてるのがもったいないっすから。右上から右中央へ順行に進もうとする積極性の高い流れなら全力で応援したいですけど、後ろ向きの火地晋的な人参くれくれ再定義系の注文は外注か自動化していくと思います。へへへ。
というか「うんちしたい!」と思ったら黙ってトイレに行きますよね。誰かに相談して、決定づけてもらわないとトイレに行けないってことはないですから、自然と普段から「自分で決めること」はやってるはずだし、「自分で決める」って考えてやることじゃなくて、わりと無意識的にやっちゃうことなんですね。「うんちがしたいですけど、トイレにいく素質ありますか?」って質問しなくてもトイレには行けるはずです。トイレに行った後「あのトイレに行った決断は正しかったのか…?」って悩みます?悩まないですよね。わざわざ誰かに再定義してもらわなきゃいけないことって、実はトイレにいってうんちをすることよりも大して重要じゃないのかもしれません。
にしけい