「好きすぎて声をかけられない、連絡できない」というのはエゴだったりする

特定の対象に強い興味関心・好意を抱いたとします。その気持ちが強すぎると「会いに行くの恥ずかしい」とか「おそれおおくて連絡できない」という状況に陥る場合もあるようです。

しかし、その対象は「ずっと存在する」のでしょうか?

例えば、その人物が死んでしまうとか、本当に手の届かないところに行ってしまうとか…

例えば、その場所が立ち入り禁止になってしまったりとか、その見たい景色が壊されてしまったりとか…

逆に自分の方はどうでしょうか?永遠に元気なままでしょうか?もしかしたら明日には交通事故で死んでしまうかもしれません。興味関心を抱く対象も、自分もどちらも「曖昧」であり「永遠性」はありません。

それなのに「会いにいけない」「連絡ができない」「好きすぎて恐れ多くてアプローチをするのは無理」というのは、なんとも呑気なものだなぁと思ってしまうのです。

そして、これらの気持ちは「自分が傷つきたくない」とか「これだけ好きなのに嫌われたら嫌だな」というエゴなのです。結局「自分がかわいい」ので、連絡をとったり、会いにいけないのです。

そのようなエゴで有限のチャンスを逃してしまうのは非常にもったいないです。来世で会えるとも限りませんし「好き」という気持ちは「今」なのです。「今」その気持ちを満たさないと後悔するかもしれません。

「傷つきたくない」「失いたくない」「憧れたままでいたい」「追い続けるだけでいい」というのは何度も言いますが「自分がかわいい」からであり、エゴです。

「会ってみると違った」とか「実際はもっと○○だった」という経験はよくあると思います。本当に気になるなら僕は会いに行きます。けっこうメールを送ります。大学の先生とか、占いを研究されている方とか、その分野に詳しい人に直接メッセージを送ったりします。気になるからです。そこで尻込みしているというのは「自分が可愛い」という保身にすぎないのです。

そして、この「自分が可愛い」というエゴをかなぐり捨てて行動した人にのみ「実際の情報」が与えられます。それはリアリティがあり、より自分しかもっていないユニークな情報になるので、非常に貴重なのです。

「実」は「虚」を破壊する可能性があるけれど

これは何も「あの芸能人が好きすぎて会いに行けない〜♡」とクッションをかかえて悶える女性に限ったことではありません。

占いでも諸説「法則」や「情報」があり、宗教化しているものもあります。「大家」と呼ばれる占い師先生もいます。

「お偉い先生が言った言葉」や「原典や古い文献に書かれている情報」が正しいという思い込み、そして「それを信じている自分が傷つきたくない」というエゴから「検証」することをしない人が非常に多いです。占いじゃなくても科学や学術的な分野でもこのような人はけっこういます。

けっきょく傷つきたくないんですよ。「虚」の世界を泳いでいたいんです。「分かったような気持ち」でいたいから「わからないこと」や「迷うこと」が出てくるとしんどいので「事実」を確かめようとしないのです。

「予想したこと」「誰かから聞いたこと」「文献に書かれていること」が「実際やってみたこと」「体験してみたこと」と一致するなら良いでしょう。でも一致しないこともたくさんあります。

そうなってくると何を信じて生きていけばいいのかわからなくなります。でも、それを自分で検証したという「事実」は残ります。その事実を作り出したのは自分なので、自然とそれが蓄積されると自信になります。

虚を虚のままにして楽しむのも良いのですが、実を作り出せるチャンスも限られています。

「どうしよう」が出てくるというのは、前進しているから出てくる言葉なのです。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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