ここ最近Youtubeでお笑い芸人さんの動画を見ることが増えました。あとはAmazonPrimeでもいろんなお笑い番組を見ています。本当にいい時代です。こんなにスムーズに上質なネタを安価で見られるようになったのは本当にいい時代です。
普段は占いの話ばかりしている僕ですが、なぜか僕の母や姉は関西人でもないのに「笑いに厳しい」(というか僕がとる行動全般に厳しい)こともあり、僕がやったことに対して「すべった」「意味わからん」と誰も頼んでいないのに審査されることがよくありました。
それゆえなぜか物心がついたときには「ブサイク」とか「気持ち悪い」と言われるよりも「今のはすべった」「それはさぶいわ」と言われる方が傷つくようになり、気づいたら「どうやったら人を笑わせることができるか」ということを賢明に追いかけていたと思います。
高専4年ぐらいのときに学園祭の「ボケましょう」というお笑い企画に出て優勝したこともありますが、僕の中で「お笑い」に関しての輝かしい記憶はこれぐらいで、あとはほとんどがいろいろやってすべっているか、ドン引きされたか、怒られたかの記憶しかないような気がします。もちろんいくつかウケたものもあります。
しかし、ウケたものが「どうやってウケたのか?」を考察しようにもあまり覚えていない上に「笑いのメカニズム」が存在しなかったときにウケていた気がします。
僕がすべるとき
僕がすべるときは大抵「狙ってやったこと」です。狙ってやったり、熟慮したり、ネタを推敲したりしすぎると、いつもすべります。笑かそうとすると空回りしてまったくもってすべるのです。しかし、朝昼晩とご飯を食べながらお笑い動画を見続ける中で気づいたことは、世に出回っている「笑い」の多くが「計算された笑い」なのです。
脚本があって、段取りがあって、練習があって、何かしらの準備をして生まれてきているものが多いのです。しかし、自分がこれをやろうとすると毎回すべりました。しかし、いくつかウケたこともありました。
それは友達の結婚式で美少女戦士セーラームーンに扮して華麗なダンスをしたときです。かなりお堅い人たちが集まる場だったのですが、これはけっこう反応がよかったです(よかったと思っています)。
そしてこれはかなり計画と準備を重ねた結果得られた「笑い」だったと思うのですが、狙ってやったことなのにうまくいったので不思議に思っていました。いつもはすべるのに、今回はウケた。この差はなんなのだろうか。場なのか?練習量なのか?逆に僕は笑いのジャングルに迷い込んでしまったような気がしました。
自分はどんなネタでよく笑うのか
なぜウケたのか?なぜすべるのか?この答えは実は「自分が笑うポイント」にありました。僕が「すごいなー」と思うのはいつも「計算して、準備して、狙って起こるお笑い」です。きちんと論理的に組み立てられた笑いです。ある意味「納得する」というか「ほほぉ、そうきたか」とスッキリするようなネタです。
これをなぜすごいと思うかというと「自分にはできない」からだと思います。しかし、最近気づいたのはこれらの「狙ったネタ」を見ても笑うことは笑うのですが、「ハハハ」とか「ハハッ」と、ミッキーが自己紹介するときぐらいの軽い感じでしか笑っていないことに気づいたのです。
「おもしろい」んだけど、「すごく」笑っていない。なんだこれは。じゃあ自分が腹を抱えて笑うパターンはどんなものなのか?それはハプニングや意味不明で理解不能な場面を見たときです。人工か天然でいうと天然寄りのものに特異的に反応することがわかったのです。
最近大爆笑したのは千鳥さんの相席食堂です。千鳥ノブさんの実家に西川清師匠が行く回と、野性爆弾のろっしーさんの回で爆笑しました。どちらも「なんで?」という場面で息が止まりそうなぐらい爆笑していました。今そのシーンを思い出しても笑ってしまいそうです。それぐらい強烈に笑いました。
「自分が笑うポイント」というのはとても大事だと思います。笑うポイントが同じだけでもカップルとしては幸せにやっていけると言われるぐらい、笑うポイントは大事です。
僕もいろんな人とお付き合いさせてきましたが、やっぱり同じ番組とか漫画を読んでいても笑いポイントがズレるとけっこう辛いものがありました。僕は比較的笑うストライクゾーンが広いのですが、自分が爆笑しているのに彼女がドン引きしている…ということもけっこうあって「笑ってすみません」というような空気になったこともありました。
自分はおもしろいと思って言ったことで付き合っていた彼女を怒らせたり、泣かせてしまったりしたこともありました。よくわかりませんでしたが、良くないことを言ってしまったのだという空気になったことだけはわかりました。
笑うポイント
自分なりに「どちらでよく笑うか」というお笑いの方向性を図式化してみました。
ざっくりいうと「天然笑い」か「人工笑い」です。僕はどちらでも笑うのですが、ツボに入るのは左側の「天然笑い」です。そして自分が「人工笑い」の方向性で笑わせようとすると毎回すべりました。「人工笑い」はある程度以上の「作り込み」が必要なのですが、毎回中途半端になりすべる…ということが起きていたのだと思います。
ある意味左側の天然笑いは「アート」に近い気がします。なので油断すると全くウケません。0か100かに近い気がします。
過去に別の結婚式でやった余興は一生懸命準備はしたものの
ちょっと世界観が意味不明なので左寄りだった気がします。これは新郎側家族にはウケて、新婦側家族は激怒した…というような報告があとでありました。このご夫婦は今も奇跡的に結婚生活が続いているそうですが、本当に奇跡だと思います。
なので、天然笑い側のAとBは反応がすごく極端だと思います。
それに比べて人工笑い側のDとCはウケたときとすべったときの差があまり大きくないような気もします。もちろんやり方によっては差はあるものの「意味不明」「理解不能」というものではないので、ある程度「納得」できます。もちろん「納得できた上ですべる」というのもかなりキツくて、笑わせたい側としては死にたくなるような長い夜が訪れそうですが、AとBのような「大きな開き」はない気がします。
自分がおもしろいと思うことをしたほうがいいのかもしれない
これまでにたくさんすべってきましたし、今もこれからもすべり続けるかもしれません。しかし、ひとつだけわかったことはやっぱり「”自分がおもしろいと思ったこと”をしたほうがウケるのかもしれない」ということです。
やっぱり自信をもって「自分がこれはおもしろい!」と思ったこと、「自分だったらウケること」をやったほうがいい気がします。と言っておきながらこれまでも同じように「自分がおもしろいと思ったこと」をやってきたつもりなのですが、すべっていたので、だめだ、この説は違うな。なしです。これはなんか違います。どう言ったらいいのでしょうか。
自然体で「天然寄り」のほうがウケる人と、計算して「人工寄り」のほうがウケる人がいて、すべってすべって辛くなったときに「もしかしたら方向性ちょっと間違えてるかも」と疑ってみてくださいと…ということなのです。
無い物ねだりしたくなっちゃうのですが、自分がよく笑うもの、よく反応するものを突き詰めていった方がいい気がします。
最後にオチに困ったので、とりあえず左脳の画像を載せてこの話を切り上げたいと思います。
あばよ!!
にしけい