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2014年9月15日 シェムリアップの孤児院へ
カンボジア1日目は長い1日だった。
ガイドのラビさんの故郷を訪れたあと、バスはカンボジアの孤児院へ。
あたりはもう真っ暗。
どうもこの「カンボジア孤児院訪問」をツアーに組み込む旅行会社は結構多いらしく
このアドベンチャーツアーにも旅程の中に「孤児院訪問」入っていた…ことを現地に行って初めて知った。
とにかく元気でわんぱくな子どもたち…だけど。
日本でも孤児院や児童養護施設には行ったことがなくて
もっと暗い雰囲気かと思っていたけれど、子どもたちはとても元気にはしゃいでいた。
ペットボトルでキノコを育てる
ここではペットボトルでキノコを育てている様子を見せてもらった。
ペットボトルの中に菌が植えられていて、4〜6ヶ月ぐらいで収穫できるらしい。
このペットボトルを生分解にできたらいいのになと、職業柄考えてみたり。
小学生のころ原木に椎茸の菌を打ち込んで椎茸栽培やっていたことを思い出した。
確かにペットボトルだったら手軽だし、カンボジアのジメジメした気候だと簡単に育つだろうな。
これ日本でも夏休みの研究キットとかにしたら売れるんじゃないかな。
↓ガイドのラビさんが見せてくれたカエルや魚を捕獲する仕掛け
川や池に仕掛けておくと、勝手に魚やカエルが入っているんだとか。
最も原始的でシンプルな「オートメーション(自動化)」だなぁと思った。
これぐらいシンプルなシステム(仕掛け)の方がリスクや負担は少ないのかもしれない。
今の僕らの生活は自動化への負担が大きい。その分、生活は豊かになってるんだけどね。
日本語を学ぶカンボジア人のおじさん
写真は撮れなかったんだけど
孤児院の近くを歩いていると、突然「コンニチハ」と話しかけられて驚いた。
日本語を勉強しているおじさんに出会った。
すごい流暢に日本語を話すおじさん。まだ日本語を学び初めて6ヶ月らしい。驚いた。
「1日にどれぐらい勉強するんですか?」と聞くと
「1ニチ、トオ(十)時間」というから、さらに驚き。そして納得。
「ハジメテ、日本人ト話シマス…!」と興奮気味でもっと話がしたそうだった。
この貪欲さは見習わなくては…。
孤児院での夕食
子どもたちや職員の方が準備してくれた夕食。
カンボジアビールまで出してもらえて。味は日本のビールより薄くてちょっと酸っぱい。
夕食のあとは子たちと遊んだ。
12歳ぐらいの女の子が僕の黒子を指差してキャッキャと笑っていた。なんか、それでいいんだと思った。
弱者、笑われ者でいい。生物ピラミッドの一番下の微生物とかプランクトンが属する「分解者」でいい。
その方が楽だし、気負わなくていい。そんなことに気付かせてくれた黒子に感謝した。
雑魚で小物だから出来ることもある。華やかな世界や凄い世界はそれが出来る人たちに任せる。それでいい。
孤児院訪問は孤児を生み出さない根本的解決になるのか
僕が生まれる10年前まで国内で戦争が続いていたカンボジア。
まだまだ「戦後間もない」と言っていいと思うし、子どもたちを見てそれを実感した。
こうやって「戦争孤児に触れる」という旅程をツアーに組み込むことは
「(戦争によって)親がいない子供達が存在する」ということを知るには一役買うのかもしれない。
子どもたちが準備したご飯を食べて、子どもたちと遊んで、バイバイ。
5〜6歳以上の子どもになると「どうせ、この外国人たちはあと数時間で去っていってしまう」ことに気づいているようで
「一緒に遊ぶ」というよりも、外国人が持っているスマホやデジカメを操作するのに夢中で「ゲームをさせろ」とせがむ子どもも。
おそらく僕がツアーを申し込んだときに支払ったお金が、孤児院にいくらか渡っていると思うし、それがこの子たちの支援につながっているのかもしれない。
けど、何か違和感があって。
確かに、戦争の結果を「知る」ことは大事な第一歩だと思うし、もっと知らなければならないと思う。でも、なんだろうな根本的な解決には至らないんじゃないかと思う。
言葉は悪いんだけど、少しこの子たちを「見世物」にしているような
なんか「かわいそうなままで」いた方がビジネス的に都合がいい人たちがいるのかなと思ってしまった。
現在のカンボジアにはそんな綺麗事を言っていられるほど余裕はないのかもしれないし
「ありのままを売る」「自然のままあまり手を加えずに売る」というのが彼らのスタンスなのかもしれない。ある意味商魂たくましい。
雨が降って流されるたびに家を作り直す…でも、そこには「流される」という前提があるから、より良いものを作らずdisposable(使い捨て)の物を作り続ける。
そんな50代の夫婦がリビングでゴロゴロしながらテレビを眺めているようなダラダラ感とマンネリ感とユルさが、カンボジアを包括しているような気がした。
(これはこのあと行ったベトナムと比較して強く思った)
戦争は力をもった人たちのワガママ
なんやかんや言ったけど、やっぱり戦争って悲しいことなんだなと思った。
孤児院でおそらく最年長の14歳の女の子がいて
自分より小さな子たちの面倒を見たり、流暢な英語で大人たちを案内したり、ニコニコしててすごいしっかりしているんだけど
何もやることがなくなってボーッとしているときに、フッと見せる淋しそうな顔が印象的で。
本当はもっと甘えたいんだろうなぁ…甘えてきたかったんだろうなぁ…と思うと、なんとも言えない気持ちになった。
これから自分は子どもを育てる側に立つわけだけど
自分の子に同じ思いをさせない。
近くに一人の子どもがいたら優しくしてあげる。
これぐらいしかできないけど、まずはこれをしっかりすべきだなと強く感じた夜だった。
にしけい