後悔が生まれる仕組み仮説
「後悔」が生まれる仕組みってこういうことかなー? 「どうにかしようとする」という行動って、本当はどうしようもないことに目を向けているときに出てくるんですよね。 「変えられないこと」に目を向けると、自然とハー
「後悔」が生まれる仕組みってこういうことかなー? 「どうにかしようとする」という行動って、本当はどうしようもないことに目を向けているときに出てくるんですよね。 「変えられないこと」に目を向けると、自然とハー
見えないもの・未知なものを信じられるという状態は、自分を信じている状態なのかもしれません。 自分を信じられないと、他者や目に見えるもの、既ににある確かなものを信じたくなります。 自分を信じられるようになるには、自分の嫌な
反面教師はアンチテーゼです。このアンチテーゼを原動力にしていると、テーゼ(前提)が崩れると途端に原動力が失われてしまうことがあります。 「母親が強引に話を進めたり、干渉してくるところが嫌い」で、「自分はそうならないように
特定のイメージで固定しようとしているということは、実際はそのイメージとは異なる状況だと認識していることになります。 「固定しようとする度合い」が強ければ強いほど、そのイメージとはかけ離れていっていると認識しているわけです
だいたいのトラブルって「(部分的)イメージの固定」で起きてる気がするんですよね。 固定された特定のイメージがあって、そのイメージを押し付けることが「期待」なんですね。他者に対して自分がもっているイメージの押し付ける。期待
いろいろと思うことがあり、整理のつもりでブログを書いていますが、自分の中でまた少し言語化が進んだので、改めて書き直していきます。 「基礎・土台・ベースが抜け落ちているような気がする」という状態は、もしかすると「軸」の形成
「自信がないんです」と言語化して、断定しているということは、自信があるんですね。 例えば「マッピュクスザウサーをやってみてください」と言われると、どうでしょう?自信あります? 「何それ?マッピュ?」というぐらい全く分から
すごく雑に性質を分けるとしたら、「可能性模索型」と「再現性追求型」なのかもしれないなと考えていまして。可能性模索型は未知の情報に反応し、再現性追求型は既知の情報に反応しやすい…という傾向に分けられるのかもしれないと。 再
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