今日は下記のご相談テーマをいただいたので、僕なりにお答えしていきます。
40代女性 カウンセリング・相談員
相談員の仕事をしていますが、最近自分の変化に危機感を覚えています。以前は相手の話を自然に聞けていたのに、ここ数年は他人の話にほとんど興味が持てなくなってきました。お金をいただくための「仕事」だからと割り切れば一応は対応できるのですが、内心では「なぜこの話を聞かなければならないのか」と思ってしまう自分がいます。好きな人や友人の話なら聞けるのに、興味のない人の話はどうしても頭に入ってこない。このドライさが年齢のせいなのか、仕事の疲れからなのか、自分でもよくわからず、不安になっています。
徳島県上勝町は日本でもゴミの分別がもっとも厳しい市町村と言われており、45品目に分別する必要があるらしいです。
この自治体で、大きなゴミ袋に全部まとめて「燃えるゴミ」として突っ込むようなことをしたら追放されそうですが…。
このご相談者の方は「分別品目」が2つぐらいになっているように見えます。「好きな人」か「特に興味がない人」かです。一言で言うと、自分にとって都合の良い人かどうでもいい人かをジャッジして分別しているわけです。
「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」という感じでしょうか。分別が大雑把だと楽ですよね。上勝町の45品目分別のように細かく分けなければいけないと大変です。
「燃えるゴミ」につっこんだゴミをもう一度袋から出して、「これはリサイクルできる」「これは不燃ゴミだ」「これは生ゴミになる」と分別し直すと「新たな迷い」や「悩み」が出てくるかもしれません。その度に自分の判断基準を確認したり吟味したりしなくてはなりません。しかし、それは大変だ。めんどくさい。そんなことをやっている余裕はない。
だから、「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」ぐらいでいいし、判断基準も「燃えるか燃えないかでいい」と固定するわけですね。他の判断基準を導入すると分別する手間が増えますから、「もうこれでいきます!」と固定しているわけです。
一言で言うと、効率化・省力化を図ろうとした結果、分別が大雑把になって固定的になっている状態なのではないかとお見受けします。だから、「興味がない人」の箱に入れちゃうと、それ以上話を聞こうと思えなくなるのではないでしょうか。
これですね、けっこう「好き/嫌い」「正しい/正しくない」「役に立つ/役に立たない」といった白黒はっきりつけたがる人が陥りやすい状況で、もともとの性格と疲れみたいなものが相まって起きているのかもしれません。境界性を強く意識しちゃう方なのかなーとお見受けしました。
相談文に書かれている通り「ドライ」になっている状態なので、なにか潤いがあるといいかもしれませんし、「割とほとんどのことが曖昧な状態で成り立っているよなー」ということに気づくことができれば、少しだけ興味をもって話を聞けるようになるかもしれません。
ゴミ箱からゴミを出して部屋中にばら撒くような状態ですから、耐えられないかもしれませんし、きついかもしれませんが、「分別しないまま過ごす」という曖昧さみたいなものを受け入れられるといいかもしれませんね。
以前、こういう記事を書いているんですが、少し参考になるかもしれません。
【分からないままでいい】分かろうとすればするほど分からなくなる(ネガティブ・ケイパビリティの話)
https://nishikei.jp/nishikei-pon-mind/51819/
しょうがないこともいっぱいあるし、泥まみれのまま寝転がってどうでもよくなってしまったほうが、何か開けてくるかもしれません。
にしけい