「本の価値」と「虚と実」について考えること

書籍についての自分のスタンスを過去にも何度か述べていますが、改めて書いておこうかなと思います。

例えば1冊の占い本を読んだときに「この考えはどういった背景からそう述べているのだろう」ということが気になるわけです。それで、参考文献が載っていればそれをさらに読み漁ります。載っていなければ著者の経歴や背景などを調べ、そこからどのような思想に至ったのかを掘り下げていきます。すると大体「あーこのあたりからの引用か」ということがわかってきます。

こういうことを繰り返していくと「引用元」が大方わかってきます。だいたい古典を漁っていくことになるのですが、古典は国立図書館のアーカイブで読めたり、古書である場合が多いのでボロボロのものが安価で手に入ったりします。(入手しにくいものもあるし、高いものもありますけど、そこは惜しまず入手して読みます)

こういう作業をしていると、ほとんどの本が「引用本」か「引用を薄めた孫請本」ということに気づきます。つまり何かしらのソースがあって、それをそのまま使ったり、薄めたりしながら本にしてるわけですね。カルピスの原液(引用元)の味を知らない人にとってはそれでいいんでしょうけれども、原液を浴びたことのある人にとっては「薄めてんなぁ」という感じになってきます。

しかし、一般的には薄められまくったカルピスのほうが「ウケる」ことも分かっています。2019年にコミケに初出店した際に出店場所周辺の本をいろいろ中身を見せてもらったりしたのですが、僕が「これ本にする意味あんのかなー」と思う本ほど早く完売していたので、世間一般では薄められた引用本の方がウケがいいのはわかっています。

引用本の多くは装丁が綺麗だったり、引用文献がたくさん載っているのと、無駄にページ数が多かったりするので、「読んだ気になる」「知った気になる」という側面も大きいと思います。しかし、そこから引用元を辿る無限wikipedia・アーカイブ巡礼の旅に出かける人ってたぶん極一部なんですよね。

 

本当にそうなのか問題

 

あと自分の価値観の中には「基本的に文献はあくまで虚だ」という考えがバックグラウンドにあります。学生時代にアホみたいに論文を読み漁ると同時に「再現性」をすごく求められたんですね。科学は理論とか論理ではなく、もともと「何回やっても同じ結果になる」ということがベースにあります。つまり「再現性」です。しかしいつの間にか「データ」「エビデンス」「理論」「論理性」「メカニズム」「論文」といった「虚」の要素を「科学」だと考える人が増えているように感じます。

(その点、漫画「Dr.Stone」の泥臭さが実際の「科学」に近い気がします。あの漫画は本当に評価すべき点が多々あるので、別で記事を書きたいと思います)

論文に書かれている内容が「虚」であることもよくあって、その虚を前提にさらに虚を積み上げているものもあって。たまーにそういったものが「根底から覆えされる」こともあるのですが、「実際にやってみると再現できない反応」もかなりあるんですよね。でもアカデミックの人の中には論文信者や、虚で塗り固められた人もいますから「なんで再現できないんだ」となるわけです。なんかもう科学というよりも、一種の論文信仰みたいになっているんですね。

本当は科学は「実」がベースにあったはずなのに、現代で言われている科学は「虚」を重視されているんですね。頭でっかちというか。

占いの書籍や情報についても同じ様な傾向があって「虚」が先行してしまい、「実」が蔑ろにされているんですね。何度も言いますが、「虚」のほうが世間一般のウケがいいことは重々わかっているんですよ。でも学生時代から「実際にやってみたら、そうならないじゃん」という壁にぶち当たりまくり、虚に翻弄されてきた自分としては同じように「虚」の本を発信することはできないんですね。

 

「実」を書いた本を蔑ろにする風潮

 

どうしても「聞こえがいい本」「それっぽい本」「なんか知った気にさせてくれる本」のほうが評価されやすいがゆえに、そうではない本が「異常本」のように扱われたり「著者は頭が狂っている」みたいな評価がされがちなんですね。「よくわからないもの、理解できないものは異常だ」「古典の原理原則に反するものは排除しろ」という風潮があるんですよね。

でも、僕は表現が稚拙で少し分かりにくくても、著者が自分で考えて自分で見た世界、自分が考える「実」を如実に書いた本の方が価値があると思うんですね。「分からないこと」が出てくるのは当然なんですよ。「実際やってみると違っていること」もいっぱいあるんですよ。そんな綺麗にスムーズにまとめられるほうが、虚飾なんですよね。でも「実際」「生の情報」ってそういうことだと思うんですよ。アイドルだってウンチしますし、顔の毛穴にニキビダニや毛包虫を飼っているんですよ。なのに「美しいところ」しか切り取られていないんですね。

 

・探そうと思えばソースが転がりまくっているこの時代において「引用まとめ本」と「古典薄め本」の価値って…?

・そもそも再現性を求めたら爆散する法則とかめっちゃあるんすけど、それって法則なの…?

・実に沿って書いたら「違うかもしれないけど書いた」という姿勢になるはず…

・でも「虚」で甘い汁吸ってる、吸ってきた人は虚を崇めるのかなぁ…結局「立場」と「背景」なのかなーという気もしてます。

 

ということで、自分が経験して、気づいたこと、発見したこと、伝えたいことを素直に書いていこうと思います。

にしけい

にしけい (西田圭一郎)

1987年富山生。工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。三児の父。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。学生気分が抜けません。詳細はこちらから

にしけい (西田圭一郎)

1987年富山生。工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。三児の父。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。学生気分が抜けません。詳細はこちらから

小学生でもすぐに読める風水・地相・家相の本を書きました。読まれた方の頭の片隅に「風水・地相・家相ってこういうことをやっているのか」というイメージが少しでも残れば幸いです。

手相の入門書としてたくさんの方々に読んでいただいる1冊です。

日本で初めて花札を占いのツールとして体系的にまとめた入門本です。気持ちや感情の変化を読み取ることに長けた占いです。

方位作用?吉方位?凶方位?距離…気学の気になることを身をもって実験・検証した記録を綴った1冊です。失敗や家族を巻き込みながらも得られた「気学の本当のところ」をまとめています。

「手相占い」というものをバラバラに分解してこうなっているのかと観察する1冊なので、正直手相占いに夢や幻想を抱いている人は読まない方がいいです。でも、それが夢や幻想だと気付きつつある人には「薄々気付いていた曖昧なこと」を完全にぶっ壊してスッキリさせる1冊です。

気学(方位・家相・地相・墓相)はもちろんのこと、易、花札占い、手相、人相、顕現相術など幅広い占いでご活用頂けます。

占い・暮らしに役立ちそうなお話・講座のお知らせなど月に1〜2回配信中です。

ブログや無料メルマガでは書けない記事やよりクローズな話を月2回配信するメルマガです。

お買い物カゴ
上部へスクロール