最近、講座の内容を見直す中で、「時代背景を理解することの重要性」について改めて考えさせられました。それは単に占いや古典を学ぶ上でだけでなく、僕たち自身の人生を見つめ直す上でも大切な視点だと気きました。
例えば、今のあなたは、過去のあなたよりも未来を生きています。
あなたが人生を振り返ったときに、「あのときこうしておけばよかった」「なんであのときあんなことをしたのだろう」と思うことがあったとします。
しかし、それはより未来を生きていて、その答えや成り行きを知っているから湧いてくる考えであって、その当時の自分はそれが正解だと疑わなかった(悪いとは思わなかった)だろうし、時代や立場など周囲の環境に合わせてしょうがなくやっていたこともあると思います。
未来を生きているから、過去を悔い改めたり、批判的に見てより良い考えを導き出そうとしたりできるわけです。
10年後のあなたが、現在のあなたを振り返ったときに「あのときこうしておけばよかった」と思うことがあったとしても、現在のあなたはそれに気づくことが出来ないのと同じで、より過去を生きた人たちもその当時の「今」を全力で生きていたわけです。
家相の指南書「洛地準則」は「AI活用情報」の共通点
この「時代性」という視点は、自分が開講している講座においても非常に重要だと感じています。
「洛地準則 詳説講座」や「占いで辿る経済思想史」などの講座をはじめ、占いにおける「先人たちの知恵」をベースに、そこから現代風にアレンジしたり、肉付けしたりしていきます。
ときには「これはおかしい!」「現代の常識から考えると間違っている」と思う点も多々あります。例えば、家の方位や間取りについて、現代の建築学や科学的根拠からは説明できない主張も含まれています。
しかし、その時代の人々の暮らしや背景を知ると、それがいかに画期的で新しいものだったのかがわかってきます。
例えば、「洛地準則」は家相や地相や風水についての指南書として、1859年(安政六年)に書かれていますが、当時は商人や武士たちの中で「初めて自分の家を建てる人」が多かった時代でした。
現代の我々が読むと、「こんな家を建てていいのかな?大丈夫かな?」と思う部分もありますが、「何を基準に、どう家を建てればいいかわからない」という人たちにとって、この指南書はバイブル的な存在となりました。
現代でもAIという新しいテクノロジーが普及してきた結果、「AIの使い方は?」「誰よりもAIを使いこなす!」という旨の情報媒体がたくさん出てきています。それらもより未来人にとっては「令和ってこんなおかしなことしてたの?」と思われるかもしれませんが、僕らにとっては今が最新なのです。
つまり、時代が変われば「当たり前」も「正解」も変わります。洛地準則もAI活用法も、それぞれの時代における「未知への不安」に応える試みだったという点で共通しています。
順応には背景がある
このように考えると、新しい主義主張が生まれてくるということは、その時代ごとに起きている「順応」のひとつです。ときには、既存・既知の考えを批判的な目で見ることも必要ですし、それによって新しいものが生まれてくる可能性があります。
しかし、「当時の最新」「当時の最高峰」を断片的に見てバカにするのはナンセンスです。
特定の何かに縛られている(例えば理想の自分像や他人の評価)、もしくは現在の自分自身を許せていないときに、そういった「過去の断片的な批判」が起きるのかもしれません。自分の現在を肯定できないからこそ、過去を否定することで自己を保とうとしているとも言えます。
先人たちの考えや行動を無条件で敬う…というのもおかしいですが、背景を鑑みず今の自分たちとは違うという理由だけで批判するのも、おかしな話です。
となると、講座などで断片的な情報だけを提示するのではなく、それが生まれた「背景」もきちんと説明しなければならないなと、改めて実感しました。何百回も講座を開講していますが、改めて講座の内容を見直す必要がありそうです。
また、実生活において考えると、「過去の自分を受け入れられないとき」って背景を無視して、印象に残った一部分(イメージ)のみで全てをジャッジしているときに起きるのかもしれません。
つまり、「背景を理解する」というアプローチは、古典を学ぶ際にも、自分自身の人生を振り返る際にも、共通して使える視点かもしれません。
この何気ない発見から、講座の構成方法、自己理解の深め方、さらには占いのアプローチなど、まだまだたくさん遊べる余地が出てきました。
にしけい



