Youtubeの手相談室だけではなく、ブログでもお悩み相談にお答えしていきます。
私が子育てに向いていないのは分かるのですが、自分を責めると同時に余裕がないとイライラして娘に辛く当たってしまいます。収入も増えず仕事も変えられないので、しばらくはこのまま我慢するしかないのでしょうか? 現状を変えるにはどうしたら良いでしょうか?
というご質問をいただきましたので、お答えしていきます。
全体的に「凝集感」が働いている
まず、大まかにこのような流れなのではないかと考えました。
③の「自分が娘に不幸をしている」「全て自分に原因がある」というようなセルフイメージが形成・固定された結果、心の余裕や選択肢が減少していき、現在のような状況を生み出している可能性があります。
もしかすると、特定の考えをご本人に刷り込もうとする親や親戚の方々の背景も探っていく必要がありそうですが、全体に共通して言えることは「凝集(選択肢を減らす作用)」が働いているということです。
凝集作用というのは特定の思想や方向性に収斂させていく作用です。
おそらく親や親戚の方々がもつ慢性的な不安や寂しさが凝集作用を作り出していると考えられますが、ご本人もこのループの中にいるということは、同じように慢性不安や寂しさを感じやすい側面があるのかもしれません。登場人物全体にこの「凝集の作用」が共通してあるように見えます。
「が」を意識するところから
「私が悪い」「あなたが悪い」といった際に使われる「が」は、様々なニュアンスがありますが、「排他性」を表す際に用いられます。選別する意図が強くなります。選別するということは選択肢が減少し、特定の方向性に収斂(凝集)していきます。
例えば、
「俺は海賊王になる」
「俺が海賊王になる」
の2つを比較したときに、微妙なニュアンスの違いがあります。
「俺は」を使うと単純に自分の目標や意思を述べている表現になり、他者との比較や対抗意識が薄いため、より客観的でフラットなニュアンスになります。
一方、「俺が」は、「海賊王になるのは他の誰でもなく自分だ」という対比や強調が含まれるため、他者に対する意識が少し入っています。他者から影響を受けるニュアンスが強くなります。
まずとても小さなことかもしれませんが、ご自身が心の中で話す言葉の中に「〜が」という用法がどのぐらいあるのか数えてみてください。まず気づくことが大事です。
・娘が可哀想だ
・私が悪いんだ
・親が干渉しなければいいのに
…などなど。
それに気づくことができたら、次は「〜が」という表現を別の表現に言い換えてみましょう。
分化の度合いを高める
不安レベルは本人の分化の度合いに比例するとも言われていて、分化とは「個人性」とか「自立心」と言い換えてもいいかもしれません。
分化の度合いが弱いと、思考と感情・他者と自分といったことを区別できなくなり、慢性的な不安や猜疑心につながります。
「〜が」をやめて、「私は〜(したい)」「私は〜(します)」という言葉を用いるようにしてみると良いかもしれません。「私は〜」と表現すると、フラットな意思表示になり、分化度合いが高まるので、思考や行動が少しずつ変わるはずです。
物理的・経済的に親元をすぐに離れることは難しいかもしれませんが、小さな意識付けによって自分の思考と行動は変化していきます。
ご自身も身近な人も傷つけない循環が生まれることを願っております。
にしけい