【雷沢帰妹・沢雷随】イザナギイザナミの国産みと三元論とドラクエの話

次の周易講座14のテキストを作成中。今回は我ながら神回になりそうな予感。と自画自賛していますが、やっぱり「自分がこれがいい!」と思えるものを提供することが、受講される方に対する最低限の礼儀なのではないかと思うのです。なので「今回は」と言いながらも、毎回自分が納得のいくまでテキストを作り直したり、構成を変えたりしています。

さて、この周易講座14では「雷沢帰妹」「沢雷随」についてお話するのですが、この卦はとても人間らしいというか、この卦自体に「うまく生きていくためのコツ」のようなものが凝縮されていると思います。まず、雷沢帰妹ですが、この卦を紹介する上で最初にイメージしたことは「古事記」や「日本書紀」における、イザナギとイザナミによる「国産み」の話です。古事記や日本書紀は普遍的・抽象的すぎて本当にいろんな解釈ができます。特にこの国産みの話は「右回り」と「左回り」という妙に具体的なキーワードが出てきたり、明らかに二神が「人間ぽい」行動をとっているところが、様々な状況を想起させます。

シンプルなストーリーで余白だらけだからこそ、解釈の余地が増えるという点では「作り込みって何だろう」と思わせる作品なのですが、古事記や日本書紀は「思わぬ解釈」を楽しめるのも魅力だと思います。なぜか以前から「雷沢帰妹=国産みの話」という構想があって、意味を知った時から「この話しかないよな」と思ってしまうぐらい雷沢帰妹を理解する上では親和性が高いのです。

この雷沢帰妹と沢雷随を理解するには「意図しないものの存在」がカギになります。このキーワードだけで、ほぼ説明がついてしまいます。テーゼ・アンチテーゼを超えたジンテーゼをどう捉えるか?これが帰妹と随の違いです。すごく平たくいうと「話を聞いて始める」のか「話を聞かずに始める」のかって感じですかね。

家電量販店に意味もなく行き、店員さんとおしゃべりするのが好きなのですが…例えば、こういった店員さんの話を「きちんと聞いて」からアクションに移すのが沢雷随です。それに対して「聞かずにアクション」を起こすのが雷沢帰妹です。あとは家電を買ったあとに取扱説明書を読むのが沢雷随で、読まずにとりあえずスイッチを入れるのが雷沢帰妹です。僕はどちらかというと「帰妹」っぽい行動を取りがちで、インプットする前にアウトプットします。そして「うまくいかなくなって」はじめて、インプットしようとします。「帰妹」は易経でもボロクソに書かれてる「そんなことしたらあかんやろ」という卦です。すごく人間っぽいところがあるので、個人的には好きなのですが、やっぱり「スムーズに物事を進める」ということを軸にするなら「沢雷随」です。

ドラクエとかRPGをやっていると、特定のキャラクターに話しかけてイベントを起こさないと話が進まないイベントがありますよね。あれが沢雷随です。例えば「ナイフを使ってりんごの皮むき」を初めてやったとします。説明を聞かずにむき始めるのが雷沢帰妹です。一方、沢雷随はちゃんと説明やチュートリアルを受けてから着手します。なんでもこういった「順序」とか「手順」というものがありまして、ドラクエの「村長に話しかけないと、次のダンジョンに進めない」というような「目に見えない順序」のようなものがあったりします。りんごの皮むきもやっていることは同じなのに「話を聞いたあと」にやるとうまくいくようになる…というようなことが起きてくるのです。

この沢雷随というのは「付き従う」という意味なのですが、何に従うのかというと「予期せぬもの」や「意図せぬもの」なのです。つまり、どうして「つきしたがう」とうまくいくのかというと、確かに「説明を聞くから」ということもあるのでしょうが、ある意味自我や欲やこだわりを捨てるということもあるのでしょうね。固定概念を取り払うというか。自我とか思い込みとかそういったものがチーズフォンドゥが終わったあと皿にこびりついたチーズのようにカチカチになっていると、うまくいきにくいのでしょうね。沢雷随はそういった「執着」のようなものを捨てた方がうまくいく…と言っており、雷沢帰妹は執着とか欲が丸出しな状態なわけです。

この「外部から意図せぬ情報を取り込む」って非常に「占い的だなー」と感心させられます。沢雷随は「占いの仕組みそのもの」を表現していると言っても過言ではありません。占いの結果を受け入れるというのはある意味、執着をなくすことでもあるんですね。だから占い師はより「第三者」である必要があるというか、フラットで、特に執着をもたないほうがいいのかなと思います。占い師に限らず「無関係」だからこそ、そのアドバイスに価値があったりするんですね。無関係ということは同列でも対立関係でもありませんから、より「外部の存在」になれるわけです。

 


正直、占いじゃなくてもこの「外部からの意図せぬ情報」を採用することができれば、その発信源が何だろうとかまいません。そのへんに落ちている石ころでも、電車の中で聞こえてきた誰かの雑談でも、たまたま送られてきた広告メールでも何でもいいんです。でも世の中には「意図」が溢れています。賛成・反対という二元論で溢れているわけです。でもこの二元論では正解が見出せないから、意図しない三元論的な「第三の意見」に正解があるのです。だから、占いをするしない関係なく「外部からの自分が意図しない言葉」に気づいて、採用できる余地がある人ってそれだけで運がいいというか、うまくいきやすいんですよね。

あと、沢雷随のテキストを作っていて感じたことはやっぱり「無駄だと思うこと」や「無駄だと思うイベント」を何でもかんでも排除するのはどうなの?という話です。「無駄なイベント」や「無駄な慣習」っていっぱいあって、確かになくなったらいいなと思うものもいっぱいあるんですが、中には「そのイベントがあるから話が次に進む」というイベントもあって、いわゆる「急がば回れ」というものなのですが、手順や順序って大事だよなと。帰妹ってしまう僕はつくづく思うわけです…。

だから、何でもかんでも無駄無駄やっちゃうとそれはそれでうまくいかなくて…。「断捨離」と言いながらも、断捨離することに「執着」していたら、逆に遠回りしていることもあったり。「手放すことに執着する」というのはなんか本末転倒というか、笑っちゃうんですよね。「何も考えず捨てて、何も考えず拾う」というのがうまくいくコツなのかなーと思ったりもします。

話がそれてしまいましたが、周易講座14、僕自身も講座を楽しみにしています。

(いちおう宣伝しておくと、周易講座も含めてこちらのページから開講中の講座を確認していただけます)

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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