【廊景谷シイチ】「退屈」はこの世でもっとも悪だ。

ご機嫌よう、廊景谷シイチだ。

表題通り。この世でもっとも悪いもの。それは「退屈」だと言っていい。

「小人閑居して不善をなす」とはよく言ったもので、退屈な状況はロクな思考を生み出さない。

退屈の意味を改めて辞書で確認してみよう。

 

■退屈

相変らずの状態が続くので心が晴れず、あきること。そのさま。

…に興味がもてず、あきあきすること。 「この劇には―した」

取り立ててする事とて無く、暇をもて余す状態。

 

「退屈が悪?こちらは忙しすぎて退屈な人が羨ましい」という疑問を投げかける読者もいるだろう。しかし「タスクが多い状態」と「退屈」は大きく異なる。

日々の課題や問題の処理に忙殺されていながら、その処理自体に飽きて辟易としていた場合、それは「退屈」であり、単なる時間の浪費に過ぎない。

「退屈」

それは「興味がもてず、飽きること」であり、この世界でもっとも悪い状態だ。

飽きること。それは飽和した状態。そこには極めて強い傲慢さがある。そして何よりも悪いのは「退屈な状況だと気づいていながらその状況を解消しようとしない」ことだ。

昨日と同じ繰り返し。今週も来週も来月も来年も同じ毎日がくるのではないかと感じている人は間違いなく退屈していると言っていい。

 

退屈は「挑戦していない」証拠

最近、自分の生活が退屈だと感じている人は、間違いなく「挑戦していない」状態だと言える。

人間は飽きる。必ず飽きるように出来ている。

相術が好きなにしけい君は「飽きに強いタイプ」と「飽きに弱いタイプ」は体型と手型を見れば一目でわかると言っていたが、どんな人物であれ必ず飽きる。

ここで「同じことを継続すること」と「退屈」を混同しないで欲しい。

同じことをしているように見えても本人がその事象に興味関心が強く飽きていなければ、退屈ではない。

逆に毎日違うことをしていても「退屈」である場合もある。

この「退屈か退屈ではないか」の差は「挑戦しているかどうか」である。より「未知」であればあるほど挑戦的と言える。キチガイという侮蔑用語があるが「既知外」であることをしなければ退屈はつきまとう。

例えば、ありとあらゆる女性を口説き落とすことが出来る男がいた場合、その男にとって「女性を口説く」という経験は既知である。

街で声をかけ、食事に誘い、生殖器による摩擦行為をするという一連の流れはいくら女性が違おうが「退屈」なのである。

この「口説く」という行為。もちろん成功確率は100%ではない。

イレギュラーが存在するからこそ「退屈しない」わけであって「挑戦する余地」があり、そこに「未知」があるから、毎日女性に声をかけていたとしても「退屈」しないわけである。

もし仮に全世界の女性を口説き落とした男がいた場合、女性に声をかけることは退屈であるため、その男にさらなる挑戦心があるならば、次は自分と同じ男性を口説き始めるかもしれない。

いかんせん「既知」は「退屈」を生み出す根源であり、既知外の事物に挑戦しないと何をしていても、どんなに時間を費やしていても退屈はつきまとう。

 

退屈は協調性を生まない

退屈の弊害は甚大だ。

そのもっとも大きな弊害は「協調性」を生まないことである。

退屈は「困る状況」を作り出さない。何度もクリアしたゲームソフトの同じステージばかりやっている状態。

「何度やってもクリアできる状態」までくると、他者の援助はいらない。ヒントをくれる友人や、強力な武器が手に入るパスワードも、攻略本も不要なのである。

退屈な状況は何不自由なく過ごすことができる。満たされている飽和した状態なので、他者を必要としない。

他者とは人間である場合もあれば、人間ではない場合もある。

これらが不要な状態、他者を求めない状態であるため、謙虚さが欠落し、やがて退屈は人間を孤立させる。

凸凹のないレゴブロックのように穴がないから入り込む余地がない。よく言えば「安定した状態」であると言えるし「完成されたもの」と言える。

しかし、それはもっとも退屈であり、挑戦していない…もっとも「勇気のない」状態と言える。

そして、そのような人物はやがて孤立していく。

勇気のない者ほど、退屈で孤立していくのである。

 

それゆえ、人間は「退屈させないもの」に対価を払う。

問題・刺激・新規性・イレギュラー…とにかく退屈しないものを求めたがる。

そしてそれも必ず飽きる日がくる。それはとても自然で当然のことだと言える。

しかし、一番大きな問題は「本当は退屈している」と気づいていながらも「その現状を変えようとしない」ことだ。

 

退屈は人を傷つける

何度も言う。

退屈は「臆病」から生み出される。

「未知」を恐れる恐怖心から「退屈」を選択する。

退屈は臆病者が作り出す状況であり、飽和は謙虚さを失わせ、やがて人を孤立させる。

臆病で、慢心家が作り出す「退屈」な状態。

慢心家は他者を傷つける。

孤立するためその寂しさから人との距離感を急激に詰めようとしたりして、強迫的になったりもする。

退屈による孤立の連鎖はどこかで「勇気をもって向き合う」ことをしないと止められない。

 

何度も言う。

 

 

「退屈」は悪だ。

「退屈」は孤立と不穏を生み、進展を殺す。

 

そろそろ「退屈は悪だ」と主張することが退屈になってきたので、本日の記事はオシマイとする。

廊景谷シイチ

にしけい (西田圭一郎)

1987年富山生。工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。三児の父。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。学生気分が抜けません。詳細はこちらから

にしけい (西田圭一郎)

1987年富山生。工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。三児の父。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。学生気分が抜けません。詳細はこちらから

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