ごきげんよう、廊景谷です。
「舌打ちする者は、卑怯者で臆病者だ」という言葉をあるネット上の記事で読んだ。
これは面白い。とても的を得ている。
音を出す
これは動物もよくやる。特に自分の身に危険がふりかかったときに鳴いたり、吠えたりして相手を威嚇する。
他人の行動や言動に対してひとつひとつご丁寧に口出ししたり、悪態をついたりする人がいるが
人間はやはり動物だったころの性質を引きずっているのだなと思って感心させられる。私が敬愛する夢野久作氏の「ドグラ・マグラ」にある部分を思い出す。
”たとえば同性……すなわち知らない男同志か、女同志が初対面をすると、一応は人間らしい挨拶をするが、腹の中では妙に眼の球を白くし合って、ウソウソと相手の周囲を嗅ぎまわる心理状態をあらわす。油断をすると相手の尻のあたりまで気を廻して、微細な処から不愉快な点を発見して、お互いに鼻に皺を寄せ合ったり、歯を剥き出し合ったりする気持をほのめかす。ウッカリすると吠え立てる。噛み付く……町の辻で出会った犬猫の心理と全然同一である。そのほか自分より弱いものを見付けると、ちょっと苛めてみたくなる。すこし邪魔になる奴は殺してくれようかと思う。誰も居なければ盗んでやろうか。他の小便を嗅でおこうか。自分の遺物は埋めておこうか……なぞいった畜生のままの心理の表現を、吾人は日常生活の到る処に発揮しているので、誰でも口にする「コン畜生」とか「この獣め」とかいう罵倒詞に当て嵌る心理のあらわれは皆、これに他ならぬのである。”
これを読んでいらっしゃる方は、どうだろうか。
悪態をついたり、うっかり舌打ちなんてしていないだろうか。
机を叩いたり、物に当たって音を出したりすることはないだろうか。
きっと、そんなときは器がいっぱいになっている。
熱力学のエネルギー法則に
「エネルギーは高いところから低いところへ移動する」というものがある。
水が川の上流から下流に向かって流れる様子を想像してもらいたい。
高いところから、低いところへ。
エネルギーがたくさんあるところから、エネルギーが少ないところへ。
例えば、心に余裕がないとき。
それは、自分のキャパ(容器)にたくさんの何かが詰まっていて今にも溢れかえりそうな状況だったとする。
「何か」には、仕事だったり、情報だったり、感情だったり、いろいろある。いわゆる「キャパオーバー」という状況。
そして、近くにキャパに余裕がありそうな人がいたとすると
余裕がない器は、エネルギー的に安定になろうと低い方へ移動する。
高いところから低いところへ。
そして、この移動のときに「愚痴」や「感情」をぶつける。
先述の犬が吠える例と同じように、自分の身を守るために音を立てる。
音を立てると、波が起こる。文字通り波風が立つ。
それを打ち消すためには同じエネルギー量で反対のベクトルの波を出す必要がある。口論、口喧嘩というものになるかもしれない。
感情をぶつける(波を出す)人は、それだけエネルギーが余分にあるわけだから
「怒る人=元気な人」となる。
元気な人には素直に「元気だね」「アグレッシブだね」と褒めて、もっとエネルギーを使わせるのも一手である。
自分自身が波を出さないためには
1.器の容量を大きくしておく
2.溜め込まない
3.エネルギー(元気)いっぱいなので、ヘトヘトにしてから人と接する
といった方法がある。
高いところから低いところへ
熱力学のエネルギー則で人間を観察してみると、意外と答えはシンプルだったりする。
この法則が人間の行動にも完全に当てはまれば中央集権から地方分権へ。
私のポケットにもお金がコロコロと入り込むはずなのだが…。
お金の流れだけは、この法則と逆行しているのかもしれない。
シイチ