御機嫌よう、廊景谷シイチだ。
最近、僕の友人のにしけい君が唐突に「目標は決まった?」という質問をされて困惑したという話を聞いて考えてみたいと思う。
目標・目的は「楽するため」に必要
目標や目的の「目的」は何なのか。
何のために「目標」なるものを立てるのか。立てなければならないものなのか。
「目標をもとう」「目標を明確にしよう」という旨の自己啓発セミナーや講座が後を絶たないのは何故なのか?
なぜ、会社組織や上司は部下や社員に目標を設定させたがるのか?
私が考えるに、それは極めて単純で目標・目的を立てると楽だからだと思う。
「目標」は最短距離を取れる
「何が楽なんだ、人をバカにしているのか」と仰られるかもしれない。
私は決してバカにはしていない。
目標や目的を「言語化」あるいは「数値化」(「目標」は数値化することを指すが)すると
次に何をすべきか具体的な行動と計画が見えてくる。あとは、これに沿って行動するのみである。
時間や労力はかかるものの、それに向かって突き進んでいるわけだから
何かしら「結果」が出てくるし、結果に対して最短距離で突き進むことができるかもしれない。
また、言語化することで他人と目標を共有することで目標達成への「ヒント」や「援助」が受けられる可能性が飛躍的に高まる。
まわりの人間がよりサポートしやすくなるのだ。
さらに、発信することで発信者にプレッシャーがかかるわけだから、なお一層その結果が得られる環境を作り出すことが出来る。
そう、目標・目的を設定することは極めて効率的に物事を進めることが出来る。
つまり、低いエネルギーで楽に反応を進行させるための触媒になりうるのだ。
もつことでもてなくなるものもある
ここまでは、一般的な自己啓発セミナーや小学校の熱血教師が述べていることと大して差は無い。
しかし、視点を変えて見てみよう。
目的・目標を「もつ」ということは手を使っている、あるいは目的を意識するために脳の一部の回路を使っていることになる。
目的・目標をもつことは確かに結果を得るためには効率的な方法かもしれない。
しかし、その半面で失いやすいのが「余裕」と「遊び」つまり「その他の可能性」だ。
“戦略とは、何をやらないか決めることである。”
(アメリカの経営学者マイケル・ポーター)
目的をもつことは「選ぶ」ことであり、「選ぶ」ことは捨てることである。葬り去ることである。
画家が一本の線を描く。画家はその線を選び取ると同時に、それ以外の可能性を捨て去っていることになる。
目的を明確にすればするほど、その他のたくさんの可能性を捨てなければならない。
目的に対してうまく事が進んでいるときは大して気にならないかもしれない。
しかし、ひとたび道中険しくなると「もっているもの」が重く自らの精神にのしかかってくることもある。
もちろん、そのプレッシャーに打ち勝つことも大事だが、そのプレッシャーにペシャンコに押しつぶされて10円玉みたいになってしまっていては「何のための目標か」分からなくなる。
目的・目標はあくまで「効率化の道具」であって、それ自体がそれらの達成の妨げになっているようでは本末転倒なのである。
目標はグニャグニャでいい
人それぞれ目標はあると思う。
小さな目標、大きな目標、明日達成できる目標、一生かかっても達成できなさそうな目標…本当にひとそれぞれだと思う。
しかし、私が思うに目標の規模が小さいとき、もしくはより限定的な目標のほうが行き詰まりが起こしやすい。
例えば、「エンピツでアフリカゾウを描いて画家として売れたい」という目的よりも
「絵で人々を感動させたい」という目的の方が可能性が一気に広まる。
なぜエンピツなのか?なぜアフリカゾウなのか?他の手段や対象物はないか?本当にやりたいことは何なのか?
目的をシンプルかつ、分割しながら読み解いていくと意外と目的が変わることもある。
私は目的や目標は常に変化するものだと思う。むしろ、変化しないとおかしいとさえ思う。
ノーベル賞を受賞するために研究してきた偉人はいるのか?
そもそもノーベル賞受賞者は「ノーベル賞を受賞する」ということを目的に、研究や活動を続けてきたわけではない。
研究や活動を続けていた結果ノーベル賞を受賞したわけで
決してノーベル賞を受賞することに夢中になっていたのではなく、ただ自分の興味関心が強いものに夢中になっていただけなはずだ。
これは目標や目的の設定がよりシンプルで、可能性を残したものだったからだと私は考える。
単純に「もっと◯◯について知りたい」とか「もっと◯◯を見たい」といった、方法や可能性を狭めない目的こそが偉大な成果を残すカギだと私は考える。
目的・目標を「何のために」立てるか。
既に目的・目標をお持ちの方はもう一度考えてみて欲しい。
あなたの可能性を邪魔する目的や目標になってはいないだろうか。
この記事を書く目的が分からなくなったので、今日はこれぐらいにしておこう。
廊景谷シイチ