ごきげんよう。廊景谷シイチです。
有性生殖を採用している我々人類は、自らの遺伝子を残すためには異性の力を借りる必要がある。
オスがメスを追いかける、メスがオスに恋い焦がれる…これは極めて自然の摂理である。
性交渉をしなくなった人間に対して脳が
「この種は、子孫を残す気配がないから殺してしまおう」と死を早めるプログラムを作動させる…といった話もあるぐらいだ。
さて、そんな中、極めて特異的に異性に反応する個体がある。
いわゆる「男好き」「女好き」という個体だ。
これらの個体は、上述したように生物学上は「正常」である。
「女好き」じゃなくて「男嫌い」
よく「俺は女好きだ」と豪語したり、同性と異性の前では180度、態度が豹変する者がいる。
生殖器が突起状か埋め込み式かの違いだけで、面白いほど行動や表情に違いが出る。
滑稽に見える場合もあるが、これは生物学上極めて通常(ノーマル)である。
しかし、これらの個体に関して、別の見方をすることも出来る。
それは、「異性が好き」ではなくて、ただ同性が苦手ということだ。
人間誰しも自分が可愛い
自分に対してメリットがあると感じた人間に良い態度を取ってしまうのも自然なことだ。
過去に同性からいじめられたり、ひどい仕打ちを受けた場合、「同性」というだけで
そのグループに属する人種が苦手になる可能性がある。
例えば、仕事で同性の上司や部下から嫌な目に遭わされた…とか。さらに、その窮地を異性が助けてくれた…とか。
人間に学習機能が存在する以上、こういったことがあった場合、性差によるイメージの違いが刷り込まれることは避けられない。
しかし、もしあなたに好きなものがある場合一度考えてみて欲しい。
それは本当に「Aが好き」なのか、それとも「A以外が嫌い」なのかということを。
性別のように2択の場合は、消去法でAを好きになっている可能性もある。
確かに「A」と「A以外」という2つのグループで人間を選別しグループで分けた方が、何かを判断する上で楽になる。
自民党の中には○○には反対で、△△には賛成で、自分と同じ考えをもった議員がいるかもしれないし、民主党の中にも近い考えの議員がいるかもしれない…
などと思案するよりも
「自民党はいい、それ以外は悪だ」とした方が、何かを進めて行動する上で、余計なことを考えなくて済むから極めて楽だ。
「社長とは話をする、それ以外は無視する」
「若い女は最高、それ以外は価値がない」
思想は個々の自由だから、これ以上言及はしないが
「A以外」の中に、あなたにとってメリットとなる情報や展開は無いだろうか。
Aが好きなのは、わかる。
しかし、まず「本当にAが好きなのか」ということを考えてみて欲しい。
A以外がダメだったからAに逃げているのではないか?本当にA以外はダメなのか?
「Aが好き」というと、とてもポジティブに聞こえることもあるかもしれない。
でも、その裏にネガティブな感情は隠されていないだろうか。
そして、「女好き」「男好き」と言ってしまった時点で、あらゆる可能性が半減していることに気づいてほしい。
「好き」は選び取ると同時に、それ以外を捨てることにもつながるわけだから、うかつに口にするものでは無いのかもしれない。
嫌われ者が作る「平和」
逆に、Aという特定のものを否定することでA以外をポジティブにとらえることが可能になる場合もある。
例えば、ある集団の中で特定の人物Aを嫌いになったとする。
Aという人物がすることはとにかく「悪」で、Aがお茶を飲めば「喉をつまらせろ」と念じ、Aが何か失敗をしようものなら3代先まで恨むような眼でAを睨みつける…。
しかし、A以外の人物がAと同じ行動や失敗をしても自然とそこまで気にならない…といった具合だ。
敵の敵は味方。Aの敵は全員味方。
Aという存在があるからこそ、A以外との調和とれる。これはこれで立派な生きる知恵なのかもしれない。
しかし、やはりAの中にもあなたにとってメリットを生み出す可能性も捨てきれない。
「一殺多生」とはよく言ったものだが、そのイチの中にも、何か大きな可能性があるかもしれない。
「私のことを嫌う」のは簡単だ。
だけど、私の中にも何かあなたにとって有益な部分があるかもしれない。
だから、私を嫌いにならないでください。
廊景谷シイチ