今夜も望遠鏡であの月をながめてる
月はキレイだ 暗い世界を照らす女神さま
あそこから地球をながめたら 僕なんかちっぽけだろうな
僕の短い手と足で飛んでいけるかな
飛べるかな 飛びたいな
今夜もひとりお月様をながめてる
ずっとながめていると 飛んでいける気がして
夢のなかでは僕の両足は月面着陸してる
あそこの木までなら飛べそうだな
でも今日はおなかが痛い あしたなら飛べそうだ
望遠鏡が壊れたのかな
今日はボヤけてうまく月が見えない
くちばしがうまくひらかないから
魚がのどまで入らない
月夜に映った僕の影は
あの頃の僕よりも小さくみえた
あそこから地球をながめたら 僕なんかちっぽけだろうな
僕の短い手と足で飛んでいけるかな
飛べるかな 飛びたいな
飛びたいな 月まで 飛んでいきたいな
まっしろなベッドに 横たわる
視界が丸を描いて ちいさくなる 暗くなる
飛びたかった
飛べなかった
飛ばなかった
飛べないことに 気づきたくなかった
望遠鏡がカタンと 風に倒れる
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昔から詩っぽいものを書くのは好きなんですが、詩のセンスは小学1年のころから変わっておらず、お恥ずかしい限りです。
このペンギンの話、伝えたいことは2つです。
1.ときには出来ないことを認めないと次に進めない。
もし、ペンギンくんがもっと早く飛んでみて、飛んで月にいけないことがわかっていたら、どうなっていたでしょうか。
気球に乗って空を飛ぶように動いたかもしれません。
はたまた、シロクマと協力してロケットを作ろうとしたかもしれません。
そんなことをしているうちに、実は機械をいじるのが好きだと気づいて、ペンギン工房を開いたかもしれません。
やってみないとわからないことなんていっぱいあるし、やってそれがうまくいかなかったとしても、いくらでも対策が打てる。
これを読んでるあなたは、いかがでしょう。
望遠鏡でお月様を覗いているのが好きならいいんです。
でも、本当のところはどうですか?
2.無理な目標設定は自分を苦しめる。
目標は大きい方がいいんですが
壮大すぎると、頑張っている途中の自分でも、常にマイナスの評価になります。
途中でペンギンくんは「木ぐらいまでなら飛べるかな」と一瞬考えます。
それでいいんじゃないかなと思います。
例えば「来月までに武道館に5万人呼んで俺のギターで盛り上げるぜ!」と意気込んでギターを買って練習を始めたとしたら…
たぶん、僕なら3時間も続かないです。
だって、無理ですもん。
そもそもギターを弾くことはそんな好きじゃないですし。
ギターの弦をペンチか何かで切って、針金細工のようにして遊び始めそうです。
不要になったギターを使って何か作り出す「ギターリサイクル工作」とかなら出来そうかな。ギター好きな人に怒られちゃいそうですが…。
意欲や積極的な姿勢は大事ですが、目標は時に人をダメにする。
モチベーションが落ちるぐらいなら目標なんて立てない方がいいのかもしれません。
「気づいたら、3ヶ月続いてた…!」
ぐらいのことの方が、うまくいくのかもしれません。
このブログも気づいたら書き始めてちょうど半年ぐらい。
90歳ぐらいまで書いてたら、何かしら取材とかきてもらって
地方紙の隅っこぐらいには載れるんじゃないでしょうか。
継続は力なり。
廊景谷シイチ