言葉は言葉を卒業するために存在しているのかもしれない。

術というこだわり

特定の占術にこだわるとどうしてもズレちゃうんですよね。特定の占術の特定の見方のみにこだわっていると、エゴ出るというか、痒いところに手が届かないような状態になるんですね。電車のように決められたルートしか走れなくなってしまうので、答えが固定化されてしまう。現場ではいかに自分を消すか…みたいなことを意識したほうが当たる気がしています。その際にどうしても邪魔になるのが「知識」とか「固定観念」のようなもので、過去に◯◯で当たったから今回も…みたいなことにこだわると全然当たらなくなります。自分の中に蓄積された経験則やデータを、今の前に起きているご相談にどうかけあわせるか。場合によっては過去の蓄積を一切捨てたほうがよかったりもします。このあたりは言語化が非常に難しい話ですが、とにかく濃度の高い場数を踏んで、純度を高めていくしかないです。

自己や知識といったこだわりを捨てた先に

術は関係ないと言いつつ、やはり術の仕組みと占い師自身の相性のようなものがあるとつくづく思います。よく自分に向いている占いは何ですか?というご質問を受けますが、やっぱり合っているかどうかは試してみないとなんともいえません。ある程度使ってみて、馴染むのかどうかです。占いを学ぶ前ってどうしてもその占いに対する固定観念みたいなものがあったりします。「この占いってこういうイメージ」という固定観念です。これがけっこう邪魔くさくて。これがあると食わず嫌いが起きたり、合っていないのに無理矢理続けようとしたり…。占い業界にも流行り廃りがあって、意図的に「この占いを流行らせよう」という作られた流れもあります。注目を浴びている占術ってどうしても「すごい」「かっこいい」と言う風に羨望の念から入門本などを買いたくなってしまうのですが、このときに固定観念が植え付けられているのです。それでその占いに手をつけて相性がよければいいんですけど、悪かったときに「流行っている・キラキラしている占いを理解できなかった自分=だめな人」みたいな自己レッテルを貼ってしまう人もいるようです。あのですね、全く気にしなくていいですよ。

結局どの占術でもいいのですが、自分を消して場と一体化することがカギなのではないかと考えています。占い自体はそのための儀礼というか、一体化した世界へ入るための入場パスみたいなものだと思います。

他者と言葉(呪)を捨てた先に

占いの話とは少しズレるんですけど、誰かに期待しすぎると不幸が始まります。特に期待する対象が遠ければ遠いほど「どうしようもなく」なります。どうしようもなくなるというのは「何も前に進まない」ということです。例えば、政治とか会社とか「遠いもの」「より外側の世界」に期待すればするほど「現状」が変わりません。一種の八つ当たりというか、責任転嫁になってしまうのですね。もちろん自分が政治活動をするとか、会社の経営権があるとか「自分が動く」ことで何か変化があるならいいのですが、期待の対象が遠すぎると結局「現状」は何も変わりません。「どうせ何を言っても変わらない」と思っているなら、遠い存在に文句を言う前に近くの自分に目を向けてあげたほうがよっぽど現状が変わる確率が高いです。

「言」という漢字は「辛」と「口」が組み合わさってできた形ですが、「辛」は刑罰として入れ墨する際に使われた大きな針です。「口」は神へ祈りを捧げる際の祝詞を入れる器で、器の上に針を置いて「約束を破ったらこの針で刑罰を受けます」と誓いを立てたところから成り立っています。(白川静,「常用字解」, 平凡社, 第二版 参照)

神という遠い存在と約束しているのですが、約束を破ったら自分に返ってくるように仕向けているわけですから、言葉の根底には「自己責任」があります。自分への呪です。本来の「言」の使い方は、誰かに投げかけるのではなく、自分のためなのです。となってくると、遠くの誰かや自分以外に対しての言葉はやっぱりなんかもったいないというか、せっかくなら自分自身に「言」を使ってあげたほうがお得です。自分に言葉をかけるならどんな言葉が良さそうですか?最高!がんばれ!かわいい!すごいね!いろいろありますが、この場合「言葉」と「期待」が掛かっているわけですから、自分に期待するような言葉のほうがさらにお得なのです。誰かに「最低!」と言うよりも、自分に「最高!」と言ったほうが圧倒的にお得なのです。

しかし、最終的にはこの「言」も必要ないと思います。「自己」も「他者」も「物質」も「知識」も関係ないところに存在していると気が付けると、自由になれます。だから「呪」や「誓」となる「言葉」も必要なくなります。「占」という漢字も「口」がついているのですが、これも入場パスのひとつなので、やっぱり最終的には占い自体にも意味がなくなってきます。「入るため」の手段自体には何の意味もないのですが、「入るため」の手段なのでとても大事なのです。そしてどの手段が良いのかは試してみないとなんとも言えないのです。

 

今日の結論:
入れ墨は痛そうなので、軽作業などの刑罰でお願いします!

 

にしけい

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