あなたの肉体は本当に便利?生きる目的はサッカーや林間学校と同じかもしれない。

 

あなたは自分の肉体が便利だと思いますか?

 

老化して年齢と共にガタがくるし

病気にもなるし

他者の生命をもらわないと状態を維持できないし

睡眠をとらないと調子が悪くなる

好きな場所に瞬時に行くこともできない

大好きな人ができても重なれない(完全座標一致不可)

 

肉体って本当に便利なんでしょうか?

僕は不便で仕方ないと思います。

なんでこんな不便なモノに制限されなきゃいけないのでしょうか?

 

あなたが神様か何かだったら

もうちょっと便利なように作りませんか?

iPhoneでさえ毎年少しずつバージョンアップしているのに

人間の肉体は大昔からこんな感じで、ほとんど変化なし。

 

縛りが多い上に、大きなバージョンアップもないこの肉体。

なんで、わざわざこんなモノに縛られなければいけないのか?

って考えたことあります?

 

相似象から導き出される答えを解くカギ

 

占いや相術をやっていると

「姿形が似ているものは同じ傾向がある」

という考えが自然に染みつきます。

 

NHKの番組で「ミミクリーズ」というのがあって

 

娘ちゃんよりも僕の方が観ていました。

 

何がいいってオープニングテーマ曲の歌詞なんです。

“似ているものには理由(わけ)がある〜♪”

 

って完全に手相や顔相の原点だし

カタカムナ文字を解読した

楢崎皐月氏が提唱した相似象学の根幹の考え方なんですよね。

 

なんで肉体が必要なのか?

 

それでですね

こんな不自由な肉体を使って僕らは生きているわけですけど

何か狙いがあって、わざと不自由をさせているわけです。

狙いや理由が無いんだったら、バージョンアップするでしょ。普通。

 

ここで相似象を使います。

身近なもので

「わざと不自由をさせている」って何か無いだろうか?

と考えるわけです。

「肉体」に似てて、わざわざ縛りを設けているもの。

あなたは何か思い浮かびますか?

 

人生はサッカーだ

 

1994年のJリーグ開幕当初

ヴェルディ川崎全盛期の柱谷とかペレイラが活躍していたころ

僕は襟足を伸ばした生意気なサッカー少年(小2)でした。

 

でも

「人生はサッカーだ」なんて言えるほど

サッカーを愛していませんし、夢中になっていません。

ビスマルク、リトバルスキーあたりで選手記憶が止まってます。

 

それでも「人生はサッカーだ」と言える理由が

サッカーってわざわざ不自由なことをしているからなんです。

 

球をカゴに入れるという目的を達成するのなら

手を使った方が早いし

11人じゃなくて500人で攻めた方が有利だし

大砲の中にサッカーボールを入れて吹っ飛ばした方が圧倒的に楽なわけです。

 

しかし、サッカーは違います。

 

サッカーは11人で、手や道具を使わず

基本的には足でボールを蹴ることしか許されません。

サッカーもわざわざ不自由なことをしているわけです。

 

人生は林間学校や宿泊学習だ

 

サッカー以外に

肉体と似ているのが林間学校や宿泊学習です。

 

普段生活している家や学校を離れて

わざわざコンビニも無い山奥の施設で寝食するんですよ。

火をおこすのも一苦労だし、虫もヘビも出ます。

 

「班」や「チーム」を組まされて、仲間割れやケンカなんかもあります。

なんでわざわざあんな不自由なことをするのでしょうか。

 

僕もそうですが

安全安心な日本を離れて旅することもある意味

「わざわざ不自由なこと」をしています。

 

あの世はわざわざ不自由なことをするぐらい余裕がある

 

ここまでの相似象をまとめました。

 

サッカーをする。

宿泊学習や林間学校や旅行に行く。

これって金銭的にも時間的にも余裕がないとできないことです。

余裕があるから「縛り」をつけるわけですね。

 

初デートで「どこに行きたい?」と尋ねたら

「どこでもいい」と言われたときと同じぐらい

選択肢や余裕があるって逆に困っちゃうんですよね。

 

つまり、今「不自由」が多い我々の肉体ですが

この肉体が滅ぶorこの肉体に入る前は

かなり時間的にも精神的にも余裕がある状態だと言えます。

僕は死んだら全員天国に行くと思っています。

 

人生=わざわざ宿泊費やバス代を出して宿泊学習だったとしたら

死or生まれる前=家にいて何不自由ない状態なわけです。

 

テレビもあるし、ゲームもある。

冷蔵庫を開ければジュースやオカズもあるし

火を起こさなくてもお風呂は簡単に湧くし

バカデカいトカゲが寝室に入ってくることもありません。

 

この肉体が滅んだあとは

人間界でいうところの「帰宅」なわけですから

そりゃあ、もう、天国でしょうね。

「あの世へ行った人は帰ってこない」って言いますけど

本来はあっちが帰る場所なんでしょうね。

 

「子孫を残す」目的は何か?

 

自分の子孫を残す。

新しく「肉体」を作り出すことは

新しく旅行や宿泊学習ができる場を作ることと一緒です。

 

子作り=

「○○少年自然の家」「山小屋」といった田舎の施設を生み出す。

新しくサッカーのような縛りがあるスポーツを生み出す。

旅で行った国に旅行代理店やツアー会社を作る。

 

というわけですから

あの世の人たちから結構感謝されるんじゃないでしょうか。

 

苦労しない、自殺する

 

もう一度、おさらいでこの図を載せておきます。

 

人生で苦労せずグウタラしている人は

宿泊学習に来ているのに

コンビニで食料を買い込んで、外に出ず一人テレビゲームをしていることと同義なわけです。

サッカーで手や道具を使っちゃうことと同じなんです。

死ぬほど辛い思いをした方が、サッカーを楽んでいるわけです。

 

また、自殺は

「自分で帰宅」を選ぶわけですから

道理でどの宗教でも「地獄行き」を言い渡されるわけです。

 

せっかく林間学校来てんのに、タクシーに乗って家に帰るわけですから

そりゃ、ちょっと先生たちもオコですよ。

サッカーだったら途中退場なわけですから、オーディエンスもプンプンですよ。

 

瞑想は実家との連絡

 

となると

瞑想の時間は「実家との連絡」と言っても過言ではないでしょうね。

親や家族にたまに電話すると頭が整理できたり

実家は電気もインターネットもあるわけですから

知りたいことを聞けば、いろいろ教えてくれるわけです。便利ですね。

 

「引き寄せの法則」は仕送り

 

さらに言うと

「願ったことは実現する」という引き寄せの法則というのは

宿泊先から実家に連絡して

「あ、オカン?お菓子食べたいから送ってくれる?」と言って

仕送りをしてもらうのと相似してます。

 

だいたいのオカンは、一回好きだと言ったものばかりを送ってきますし

嫌いなものも「なんか話してたから送ってみたわよ」と言って仕送りしてくれます。

 

引き寄せの法則を

すごく身近なものに置き換えると実家から旅先への仕送りといったところでしょう。

 

不自由だと言える自由を楽しむ

 

きついこと、辛いこと、考えたくないこと

逃げ出したいこと、もうやめたいこと、理不尽なこと

いろいろあると思いますが

「不自由だ」「辛い」と言える(思える)自由はあるわけです。

 

こんな不自由な世界で自由を感じて楽しく生きられれば

そりゃあ、もう怖いものなしですよ。

きっと、キツいことは死んだ後の世界ではネタになるんでしょうね。

 

インド一人旅でお金を失ってなんとか帰国した僕が思うに

そのときは絶望的でも

苦労話は帰国したら本当にいいネタになりますから。

 

肉体をもっと有効的に使っていきたいですね…。

 

にしけい