本当にゆとりですがなにか?

 

日テレ系「ゆとりですがなにか」というドラマが始まりました。

個人的にはクドカンさんが好きなので、HDDに録画しておいたものを観るのが楽しみなんですが(まだ観ていない)

今回はこの「ゆとり世代」という言葉について筆を取ってみます。

 

たぶん、僕もゆとり世代です

 

ゆとり世代の定義は諸説あるようで、wiki先生にも詳しく書いてあるように明確な定義が存在しない。

ただ、その性質として、こうやって「すぐにwikipediaやgoogleといったネットに頼る」とか

「言われたことしかできない」

「根性がない」

「何を考えているか分からない」

「失敗を恐れる」

「応用がきかない」

「飲み会に参加しない」

などなど、基本的には悪口の羅列をまとめて「ゆとり世代」と括っているようにも見える。

 

生まれた年代もさることながら、僕自身もまわりの年配の方から「これだからゆとりは」みたいなことを言われることがままある。

表情をあまり表に出さず、口数も少なく、何を考えているのか分からない、重い荷物を持ちたくない、好きなことだけ一生懸命やる、会社の飲み会はほとんど出席しない…

 

確かに自分の行動を振り返っても該当する部分が結構あるなと思う反面、実はこの「ゆとり」という言葉に強い疑問を感じている。

 

ひとくくりにすると「楽」でしょ

 

「ゆとり世代」「団塊世代」「ブラック企業」「なんとか系女子」とか、そういう言葉って

考えることを放棄して楽したいから生まれた言葉だと思うんですよね。

 

団塊世代にだってダルそうにパソコンばっかり触っている人もいるし

ゆとり世代と言われる世代にだってモーレツ社員を彷彿とさせる働き方をする人だっている。

 

自分が納得できない受け入れられない人間の性質を「ゆとりだから仕方ないか」と納得したり

「ゆとりだから無理です」と開き直って諦めたりすることで、それ以上深く考えないで悩まないで済む。

 

「Aという性質があるからゆとり」

「Cなところがあるからこの人は団塊世代」というルールや法則を作ることで

それ以上相手の行動や言動に対して「なんでこういうことするの?」と追及しなくて済む。

つまり、すごい省エネなわけですよ。

 

 

楽に生きる知恵は人間をバカにする

 

確かに、人間や性質を分類してそれ以上思考しないことで、余計なエネルギーを消費しなくて済む。

これは人間が楽に生きようとする知恵とも言える。

人類はこれまでにも法則や法律を作ることで、それ以上考えなくて済むように常にシステム化・マニュアル化を図ってきた。

「赤信号だったら渡らない」「水素をHと表記する」「信じるものは救われる」とか。

科学も教育も宗教もルール化することで人間関係や物事がスムーズに進むようによく考えられている。

ある意味「ゆとり世代」という言葉もそのひとつに過ぎないと思う。

 

でも、こういう便利な言葉増えてそれを使う人が増えれば増えるほど、考えなくて済むわけだから

自分も含め油断すると頭が悪い人間が増えてしまうんじゃないかと思う。

 

 

そして、こういう分類って実は凄い人間や物事に対して失礼なんじゃないかと思う。

「腕が2本あって、脚が2本あれば人間」

「脚が6本あるから、昆虫」

「お前は男だから◯◯」

「女は子どもを産め」

「営業マンは根性だ」

ある意味、セクハラ・パワハラっていうのはこの大雑把な分類、つまり思考停止により生み出された極めて失礼な行動や言動の総称だと思う。

と、総称しちゃっている時点で僕も思考を停止させて楽しちゃってるんだけどね。

 

とにかく「ゆとり世代」のような便利な言葉は

「思考力が低下する」という意味でも、「相手を侮辱する」という意味でも「人間をバカにする」と思うんですよね。

まぁでもルールや言葉がないと、裸でそのへんをウロウロしたり、強奪や暴力が絶えない北斗の拳の世界のようになっちゃうわけだからそれはそれで困りものだけど。

秩序とかルールっていつ頃出来たんだろうなぁ…そういうのが出来たころの世界ってどんな感じだったんだろう…

最初に「服着ようよ」って言い出した人がどうやって生まれたのかすごい気になるよね。

googleで調べてみようっと。ゆとりだから。

 

にしけい