思惑(シワク)の不自然さ

 

例えばの話。

 

食べ放題のお店から出てきた、お腹がいっぱいの男性を指さして

その男性の母親があなたに懇願する。

「うちの息子、お腹が減っているようだから、あなたがもっているパンをあげてくれないかな」

 

あなたはポケットからソーッとパンを取り出し渡す。

男性は少し苦しそうな顔をして「え、いや、いりません…」とこぼす。

 

そこへすかさず母親が「いや、あんたお腹減っているでしょう!」と強引にパンを男性の手の甲に押し付ける。

男性は「ああ、すみません、じゃあ、ありがとうございます…」と言って、迷惑そうにパンを掴む。

 

その様子を見て満足気な母親。

 

確かにパンはもっているけれど、どうせならもっとお腹が減っている人に渡したかったな…。

 

母親の思惑(おもわく)が、あなたを困惑させる。男性を困惑させる。

 

 

【思惑(しわく)】

仏語。修道で断ち切られる貪(とん)・瞋(しん)・痴・慢などの煩悩(ぼんのう)。修惑(しゅわく)。

 

 

第三者の思惑(おもわく)は思惑(しわく)とほぼ同義かもしれない。

いわゆる「おせっかい」というものは、第三者の自己満足のために存在するに近い。

あなたの行動で誰が一番満足するのだろうか。それは本当に必要とされている行動だろうか。

「やさしさ」だと思ってとった行動が、コーヒーの中で混ざるミルクのように、不純さ・混沌を生み出すかもしれない。

その行動によって生まれるのは不自然な結果と違和感と自己満足だけかもしれない。

 

「愛情」と「自己満足」の線引きは本当に難しい。

だからこそ、何かを相手に施す上で考えてみても良いかもしれない。

 

“それはあなたの【思惑】になっていないか”を。

 

この記事自体が【思惑】になっていないかを考えています。

にしけい