なぜ旅に出るのか

 

どうも、にしけいです。

来週から南米旅行に行ってきます。

いろんな国に行っていますが、よく考えたら1人旅はインド以来なので、ちょっとドキドキソワソワしています。

秋の夜長に、近所を散歩していて、ひんやりとした透き通る風を頬に受けながら、いろいろと考え事をしていました。

 

なぜ、僕は旅をするのか。

 

なぜわざわざ、会社を休んで、高いお金を払って、家族や周囲から止められながらも海外へ行こうと思ってしまうのか。

行きたいと「思う」というよりも、「思ってしまう」という表現が適切で、ある一種の中毒性のようなものがあるような気がする。

 

自分がいなくなる感覚が好き

 

旅に行く人たちの理由は人それぞれだと思う。

僕はこの表現が自分の気もちに一番近い気がする。

誰も自分を知らない、自分も誰も知らない。

小高い山の登頂の岩陰で風に揺れるロウソクの炎のように、消えてしまっても誰にも気づかれない不安定と孤独感。

日々の生活では味わえない「ただ、生きている」というだけのゼロに近い自分。

見栄や固定観念の服を脱ぎ捨てて、裸の自分と語り合うような感じ。

1人で旅すると、自問自答する時間が増える。それも自分の核に手をツッコむように、グググッと入り込む。

そういう作業が、自分を素直にさせてくれたり。謙虚さを思い出させてくれたり。帰国した時の活力になる。

 

入る景色、全て新しい情報

 

知らない街に行くと、とにかく新しい情報しかない。

建物、地面、道、車、ヒト、表情、飲み物、笑い声、いつも見ている太陽すら違って見える。全てが未知。

赤子が何でも手でモノに触れて、口にそれを入れたがるように、新たな情報を取り入れようと脳がパーーッと動き出す感覚がとても好き。

上述したように、自分の気もちがフラットな状態になっているから余計に強烈に記憶に残る。

これが”中毒性”の一番の要因となっているかもしれない。

 

自分がどうなるか、どう動くのか興味が湧く

 

予想外の出来事が起きたとき自分はそれをどう対処し、ピンチを切り抜けるのか。

全く知らない土地にポツリと立たされたときに、自分はどう歩き出すのか。

狂った羅針盤がピタリと止まるように、まっすぐ目的地に向かって歩き出すためには、たくさん思考する必要がある。

パニックになることもあるし、逃げ出したいこともある。そういう経験ってきっと普通に日本で暮らしていたらなかなか出来ない。

ときどき、高速道路を走っていて

このトンネルで1人、ポツンと放置されたら、どうなるんだろう…と妄想すると

心臓が僕の胸を飛び出て、遠い空の果てまで飛んで行ってしまうような気持ちになる。

でも、それをどうにかする、どうにかしようとする自分を見てみたい。そういう好奇心が旅にはある。

 

というわけで

来週から南米に行くために少しずつ準備を進めていますが…旅日記を粛々とブログに書いております…。

バッタが葉っぱをかじるように少しずつしか書けずにもどかしいのですが

イタリア編が終わったら、フランス編、カンボジア、ベトナムの旅もたくさんあるので

カブトムシがゼリーを食べる早さぐらいまでスピードを上げて書こうと思います。

 

 

やりたいこと、やることがいっぱいだ!!

にしけい