現在開講中の周易講座4期では下記に2つに重点を置いて解説しています。
1. 書き下し文や漢字の意味ではなく、原文の漢字のコアイメージを重視する
2. 前後の卦のつながり(テーゼ/アンチテーゼの連続)を重視する
漢字を高い抽象度で理解する
まず、1についてです。
「意味」と「コアイメージ」は似ているようで違います。「コアイメージ」は抽象度が高く、他の漢字ともつながりがあり、グループ分けなどをすると相互性があります。一方、「意味」は具体的なものに落とし込まれています。
例えば、「師」という漢字があります。
「師」の「意味」を調べると、下記の意味があります。
師
1.子弟を教える者。人の手本となる人。先生。
2.仏教やキリスト教での指導者。
3.工人の長、また技術者。後に、専門家を示す接尾語。
4.法師・講談師等の姓名に添える敬称。
5.軍隊。中国の周代の軍制では、二千五百人の一隊を師、五師を軍とする。
6.多くの人。もろもろ。多くの人の集まるところ。大きい
項目が複数出てくるということは、既にこれらは「具象化」されています。
「自動車」の中に「カローラ」「プリウス」「パジェロ」「ベンツ」「ポルシェ」などのより具体性の高い項目が包括されているように、これらの「意味」は「コアイメージ」から派生した具体的なものになります。
周易や易経の解釈・解説する媒体のほとんどが漢字の「意味」を追いかけています。何度も申し上げますが、意味は「具象の1つ」です。意味を1つに絞るということは、様々な車種がある「自動車」の中で「プリウス!」と決め打っているようなものです。
実際に易経の原文の漢字を「意味」で追いかけていくと、偏った解釈が生まれ、結果よくわからなくなってしまいます。
例えば、物語の中で「狭い路地に1台の自動車が入っていった」という記述があったときに、「自動車=いすずの大型トラック」という風に固定して読み進めると、「え?狭い路地に大型トラックは入れるの?」という疑問が湧いてきます。
これと同じような「意味を固定することによる誤った解釈」が広く流布しています。
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「コアイメージ」として捉え、状況に応じて柔軟に解釈することが大事。
特に19世紀から20世紀初頭に書かれた易の解説書にはこういった矛盾が多く発生していますが、それっぽい理屈をこねくり回して後付けして、強引に納得させようとする記述が多数見受けられます。
古代中国と時代錯誤も文化的錯誤もある現代おいて、易経を解釈するためには具体的な「意味」を追いかけていると、スムーズに理解することが出来ません。よって、僕はより抽象度の高い漢字のコアイメージを重視しています。
ちなみに、「師」のコアイメージは「人や物や情報が特定の範囲内に集まる(集める)こと」になります。
抽象度が上がりますが、このコアイメージで「地水師」を読み解くと、卦辞や爻辞に一貫性が出てくるはずです。
地水師は「戦争」という具象イメージを捨てる
例えば、地水師の三爻目の爻辞「師或輿尸。凶」です。
一般的には「戦争において死体が積み上がっている状態であり、凶である」という解釈が多いです。
しかし、漢字のコアイメージのみを使って翻訳すると、「様々なものを受け入れ過ぎてよくわからない状態。境界性が曖昧になり、何もない状態と同じ」という解釈になります。
実際の占いにおいて「あなたは戦争で死体を積み上げてしまうような悪い采配をした師と同じ状況です」と言われても、占いのテーマによってはピンとこないはずです。占う側も首をかしげてしまうのではないでしょうか。
一方で、同じ地水師の三爻変を「コストコで何も考えずに買い物して、全部冷蔵庫に詰め込んだはいいものの、欲しいものは何も得られておらず食べ物を腐らせてしまう状態」と説明されたらどうでしょうか。こちらの方が、はるかにイメージしやすいのではないでしょうか。
実はこれも、地水師の「人や物や情報が特定の範囲内に集まる(集める)こと」というコアイメージから具体的な意味に落とし込んだものです。
そして三爻変は「何も考えずに詰め込みまくった結果、何も得られるものがない状態」を表しています。このように説明されると、現代を生きる僕たちにも腑に落ちやすいはずです。
テーゼとアンチテーゼの繰り返しから読み解く
次に、易経の仕組みについてです。
易経は64の物語から成っていますが、ひとつ前の卦の失敗を次の卦で克服しようとする構造になっています。
テーゼとアンチテーゼを繰り返しています。アンチテーゼとして生まれたものがテーゼとなり、さらにアンチテーゼが生まれます。
下記はテーゼとアンチテーゼのループの例です。
アンチテーゼとして生まれたものがテーゼとなり、さらにアンチテーゼが生まれる
この構造を理解することで、先述した「漢字のコアイメージ」が確定的なものになっていきます。
例えば、先ほどご紹介した「地水師」では、「人や物や情報が特定の範囲内に集まる(集める)物語」を描いているのですが、そうなった理由がひとつ前の卦である「天水訟」に書かれています。
天水訟には、「下(内)から上(外)に向かって伸びる」というコアイメージがありますが、最終的(上爻)に「上(外)に出ようとしすぎて失敗する」という風に書かれています。上(外)に向かいすぎた結果、飛び出してしまったわけです。それはルールの外でもいいし、組織の外でもいいし、常識の外でもいいわけですが、天水訟をしすぎた結果、何かしらの「範囲の外」に出てしまった…というオチがついています。
自分が外に飛び出すぎたので、今度はその反対で「他人を内に入れよう」という動きになり、「特定の範囲内に人や情報を詰め込む」という地水師の卦に発展するわけですね。
地水師は象伝でも「地下水」として紹介されていますが、地下水も「特定の範囲内に水を溜め込んでいる状態」を指します。このように漢字にコアイメージとテーゼとアンチテーゼによる連続性を用いることで、易経をかなりスムーズに理解することができるようになります。
ちなみに、地水師では「何でもかんでも集めすぎて、よくわからなくなる」という失敗をしたので、次の卦である「水地比」では「似たようなもので(種類ごとに)まとめておこう」という物語になっています。英単語で言うと、水地比は「Clustering」になります。クラスターとか言いますよね。あれと同じです。下記に簡単にまとめておきます。
範囲の外に飛び出してしまった!
→ 自分が外に出たから、今度は他人を内に入れよう!
→ ごちゃごちゃだったものを分類して整理する
このように易経を読み解いていくと、実生活に落とし込みやすいですし、質問者(占われている人)が今どんなフェーズなのかがよくわかってきます。
自分で自分を占う時にも、「今の自分ってこんな状態なんだ」ということが理解できれば、テーゼ/アンチテーゼの考え方で「次にどうなりそうか」「どうすべきか」が見えてきます。
何度も言いますが、漢字の「意味」を追うと、易経や周易の勉強・実占はどこかで詰みます。1つの卦から1つの意味(手相で言うと、1つの線から1つの意味)という構造になると、断片的になってしまいよくわからなくなります。
それでいて、よくわかっていないことにすら、気付けないまま「これが易経だ!周易だ!」と思い込んでしまうと、もう手がつけられません。
とはいえ、僕自身易経の講座を4周目にしてようやく気付けたこと(岩波文庫の本はボロボロです)なので、この気づいたことや発見が、同じように易の勉強で悩んでいる人たちに伝わればいいなと思います。
易は初見殺しすぎる占いなんですけど、理解できるようになると本当に頼りになるし、めちゃくちゃおもしろいっす。
にしけい


